映像の話になると年齢に関係なくつながれるのが楽しい瞬間です。
西森 大志氏:(株)ナナイロ

高校時代、映画「ジュラシック・パーク」を見てCGに憧れたという西森氏。卒業とともに、CGの学べる東京の専門学校で10ヶ月勉強し、在学中からゲーム会社でアルバイトしながらCGの技術を学んだという。

西森氏

アルバイト先にそのまま就職したものの、経営状態が悪くあえなく倒産の憂き目に。2社目はテレビの人気の旅番組のCD-ROMを制作する会社だった。朝から晩までビルの中で働きづめの毎日だった。
「夢を持ってCGの世界に飛び込んだけれど、行きと帰りは通勤ラッシュにもまれ、ビルの一室のモニターの中で世界を旅する生活でした(笑)。精神状態が良くなかったですね。10代の頃の僕にはきつかった」。
そして退職。自分探しの旅に出た。

25歳で社長?

3ヶ月間、インドとネパールを彷徨った。一日中ガンジス川を眺める日もあったという。もう一度CGをやりたい、それが旅先で出した答えだった。

日本に戻り、テレビ番組を制作している会社に就職。
「規模は大きくないけれど、番組ができるまですべてわかる。自分たちでスポンサーを見つけてきて、番組をつくるようなスタイルでした。面白かったですし、勉強になりました」。

そこで転機が訪れた。
「当時、5年ぐらい働いたのですが、それなりに自分ではモチベーションをあげてやっていたけど、クライアント側の予算が増えることはなかったんです。その状況でCGをこれぐらいの時間でやってよ、この程度のクオリティでいいからという依頼がおりてきて…」。

この感覚で仕事するのなら厳しい。もう一度、東京で力を試してみようと考えた。
「辞めたいです、という話をしたら社長に呼び出されまして。『社長をやらないか?』という話になったんですよ」。

支店を出すので、そこの社長をやりなさいという内容だった。当時25歳、会社にとっては賭けのような話だった。
「東京に行くよりもリスクはないし、やりたいことはできるし、これはすごいんじゃないかって考えましたね」。

経営計画書を書いて社長に見せた。
「あれこれ指示されることになり、これはただの雇われ店長だな、ちょっと厳しいな、と思いました。でも会社を経営するという気分が盛り上がってしまったので、どうせやるならあなたと同じ立場でやる、と言ってしまったんです」。

一番カロリーの高い菓子パンを一日一個食べる生活

大阪でマンションを借りて、パソコンや家具を購入すると、すぐに貯金はつきた。
「ゼロからのスタートでした。あいさつ回りに行かせてもらってちょっとずつお仕事をいただいたのですが、仕事のスパンの関係上、3ヶ月ぐらい入金がないんですよ。ぜんぜんお金がなくて、一番カロリーの高い菓子パンを一日一個だけ食べるような生活でした。一番困ったのが、京都から会社に来るまでの電車賃がなくなってしまったときです(笑)。一番苦しかった時期ですね」。

26歳で会社をはじめ、若い西森氏を多くの人がサポートしてくれたという。大型量販店の家電売場に並ぶ、商品の説明映像などプロモーション関係の仕事を多数こなした。会社の規模は少しずつ大きくなっていった。

西森氏

最近はコンスタントに某自動車メーカーの仕事をしている。16歳の頃からバイクなどメカニックな部分が好きで、車の動かし方などをよく知っていた。映像はモーターショーなど、自動車のプロモーション会場で披露された。
「仕事の中でやりがいを感じるのは人と会えることですね。癖のある方が映像まわりの方に多い。僕はそういう方が好きで、ご年配の方も若い方もおられるけど映像の話になるとそれだけでつながれる。そういうふうにやりとりできるのが僕の中ですごく楽しい」。

ずっと夢を持ち続けられる働き方って何だろう。

「CG制作はアメリカのソフトウェアを使用します。日本のプロダクションは早い段階で手に入れて使いこなすことが求められて、それって何の意味があるんやろ? と思いはじめました。カンタンに言えば資本があるところが強くて、オペレーターをたくさん育てることで仕事が増えている。こういうカタチが増えて来ていて、僕はそれに抗いたくていろいろと模索しています」。

西森氏

働く人たちのモチベーションをどうやれば保てるんだろう。ずっと夢を持ち続けられる働き方とは何か、問い続ける日々。
「悩んだ結果、中国地方に会社をつくろうと考えました。鳥取や岡山などいろいろまわったのですが島根県に支社をつくることにしました。できることは何かと考えたときに僕はやっぱりCGしかないけれど、雇用を生み出すことはできる。島根県の人の話を聞くと、働きたくても働く場所がないので8割ぐらいは県外に出ると聞きます。今、貧乏したことのない若者は働く意識が希薄だと思うんですが、地元で働きたいっていうバイタリティは強いと思う。そういう場所で働けばめちゃくちゃうまくいくと思うんです」。

実は山陰地方には美大がない。専門学校も少ない。つまり映像関係の仕事がしたくても働くところすらないのが現状だ。
「地元の企業でプロモーションをつくってみたいけれど、テレビCMは画像が止まっているんですよ。そういうところで面白いCMをつくりたいな、とかそういう状況だと僕らがやりたいことができるんじゃないかと思いました」。

ほかにも山陰地域の農業支援など、自分たちのスキルを使って困っている人たちをサポートできるしくみを模索している。西森氏の夢は尽きない。

公開日:2010年08月17日(火)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ジーグラフィックス 池田 敦氏