言葉は力、音楽は心
船越 節夫氏:(株)サウンドフォーラム

スクリーンの中で感動的なシーンが今まさに繰り広げられようとしている。絶妙のタイミングで音楽が流れ、観る者の心を熱くさせる。しかし、その音楽がなかったらそのシーンは、じつに殺風景なものとなる。試しに、過去に観て感動した外国映画の名シーンの音声を消し、字幕だけで観てみるといい。たとえば、往年の名作『愛と青春の旅立ち』のラストシーン。それでも胸に迫るものがあるなら、この映画の主題歌を耳の奥であなた自身が奏でているかもしれない。要するに、映画やテレビドラマの感動に音楽は欠かせないのだ。

なおさらラジオドラマになると、音楽に頼るところも大きい。南森町にある録音スタジオ「サウンドフォーラム」の社長・船越節夫さんは今年で40年目を迎える超長寿ラジオドラマ番組のチーフ・ディレクター。「言葉は力、音楽は心」という信念のもと、「情景が拡がり、心の琴線に触れる」番組づくりに日々取り組んでいる。船越さんは、初回からこの番組に携わってきた唯一の人物で、スポンサーからの信頼もとりわけ厚い。放送回数12000回を超えた、この番組づくりは、まさに船越さんのライフスタイルそのものである。

舞台音響で学んだ「音楽」の役割

船越氏

わが国の高度経済成長期の始まりとともに、船越さんの“音の職人”としての歩みも始まった。これまで、テレビ・ラジオ番組をはじめ、CM、企業広報、舞台と様々な“音づくり”に関わりながら、自らの人生観を構築していった。
「母親の胎内に生命を宿らせたその瞬間から、母親の鼓動を聞き始め、生まれて死ぬ瞬間まで様々な音に支えられながら私たちは生きています。音なくして人は生きてゆけない。長年の音づくりから、『言葉は力、音楽は心』と解釈し、このバランスが人の心を動かすのだと考えています」と音の重要性、“音職人”としての哲学をそう語る。

子どものころから機械いじりが好きで、近所の家電の修理を一手に引き受けていた船越さん。通信系の学校に進み、将来は船舶の通信士と夢みていたが、船舶業界よりも当時隆盛しだしたテレビ・ラジオ業界に産業としての可能性を見出し、あっさりと方向転換する。
学校卒業後、大阪市内の録音スタジオに入り、音響スタッフとしてラジオ番組や天気予報に携わるのだが、当時全盛を迎えていた商業演劇の音響にはやばやと鞍替えする。この選択が船越さんの人生哲学の礎を築くこととなる。
「新国劇、歌舞伎、ミュージカルとあらゆる舞台の音響に携わりました。劇場の楽屋の奥に大きな風呂があったんですが、そこでは役者も裏方の人間も分け隔てなく裸の交流ができました。一世を風靡していた役者さんたちと直に対話できたことは、今思えば貴重な経験です」と当時を振り返る。「最も大きな経験は、舞台と客席との一体感を音響でつくり出せるということを学んだこと。たとえば、観客を泣かそうと思ったら、泣くシーンで役者が本物の涙を流さなければならないんですが、公演が長くなると悪い意味で芝居に慣れて、役者はここぞというときに涙を流せなくなる。それでは観客が芝居に陶酔できません。でも、泣くシーンで役者が演じている人物の心境を表わようなメロディーを流すと、役者の眼からポロリと涙がこぼれるんです。すると、観客は芝居に感情移入でき、舞台と客席との一体感が生まれる。舞台音響をしたおかげで、音楽が涙の栓をひねってくれるということを学びました。この経験は、その後の“音づくり”に大いに役立っています」。

“リアルな音”は“リアルな経験”によってつくられる

船越氏

舞台音響スタッフとして順風満帆な日々を過ごしていたとき、新しく設立した録音スタジオの社長直々に、メンバーに迎え入れたいという熱烈なオファーがあった。舞台音響の仕事にやり甲斐を見出していた船越さんは、その申し入れを断っていたのだが、半ば強引に引っ張り込まれ、その録音スタジオへ入社することとなる。フィルムからビデオ、ビデオからCDという変遷を経ながら、そこで“音職人”として様々な仕事に携わりキャリアを積んでいく。そして、平成5年、満を持して録音スタジオ「サウンドフォーラム」を設立する。
「音響の仕事も昔は手作業で本当に大変でしたけど、今はパソコンさえあれば、ほとんどがまかなえる時代になりました。それに情報はいつでも、どこでも簡単に入手できますが、私たちの時代はそうはいきませんでした。たとえば、夜の街の雰囲気を音で表わす場合、どんな雰囲気なのか、そこではどんな音が聞こえてくるのかをミキサー(音響スタッフ)自身が知らなければ、映像やラジオドラマに音をつけられません。そのためには、夜の街へ繰り出し、その雰囲気に身を置く必要があります。『経験すること』も仕事の内でした」。映画やテレビドラマなどの劇中の様々な音は、今も昔も加工したり新たにつくり出したりし、実際の音をそのまま使うことは少ない。それはマイクを通すとまったく違う音になるからだ。どれだけの音を把握しているかということは、どれだけの世界を知っているかという証だった。船越さんは、率先して自らの足を色々な場所へと運ばせた。「一時期は、『社会勉強』と称して毎晩のように北新地に通っていました(笑)。一日に店を7軒ハシゴしたこともあります。たまに思うんです、そのとき使ったお金が今あったら、どんなに裕福な暮らしできるやろうと(笑)」。しかし、その経験があったころこそ、様々な“音づくり”に対応できる実力が備わったことは相違ない。

始動した新たなステージ

取材風景

昨年(2009)10月、船越さんは母親が入居している大阪市内の介護老人施設で、プロの司会者や演奏家を集めてラジオの公開録音をイメージした公演を行なった。日頃の感謝と、認知症を患っている入居者とその家族、そして施設職員に少しでも癒しを提供できればという思いからの計らいだった。
公演は、戦前・戦後・昭和の懐メロ、ラジオドラマ、弾き語りなどのプログラムが組まれ、本物さながら2時間ノンストップで行なわれた。船越さんは、この公演で音楽が人に与える影響力を再確認した。
「普段無表情の入居者が、懐メロが流れ始めると表情がほころび、体でリズムをとったり、中には歌を口づさんだりする人までいました。音楽の持つエネルギーに改めて感心させてられました。私がめざした“心の介護”ができて大変うれしく思います。またやりたいですね」と船越さん。しかしその一方で予算の問題もある。「今回はボランティアとして行ないましたが、継続させてゆくためには、行政や企業の支援はじめ、民間ボランティアの協力も必要です。今後、このような公演を継続的に行なえるよう多方面に働きかけてゆくつもりです」とその意欲を語る。今年69歳を迎える船越さんの“音職人”としての新たなステージは、すでに始まっているようだ。

公開日:2010年03月08日(月)
取材・文:合同会社ライトスタッフ 北村 盛康氏
取材班:株式会社ファイコム 浅野 由裕氏