いろいろな方に出会えることってすごく贅沢なポジションにいると思うんです。
泉屋 宏樹氏:iD.

泉屋氏

ホームページの略歴にズラリとデザインや版画に関する賞が並ぶ泉屋さん。しかしお話を聞いてみると順風満帆だったわけではない。最初の就職先では働いてすぐの2週間後にたいへんな目に会っておられました…。

就職して2週間でリストラの憂き目に。この経験が後のターニングポイントとなった。

大阪芸大を卒業後、自分を試してみたくて東京の会社に就職したという泉屋さん。希望していた音楽レーベルのA&R部署に配属が決まり、社会人生活がはじまった。しかし転機は2週間後に訪れる。
「新人が集められて、社長の謝罪を受けたのです。会社がうまくいってなかったようで、新人は全員解雇。当時、大きな証券会社も潰れていた頃で、まあこういうこともあるんだなあと思いましたね。冷めていたというよりは、次はどうしようという感じでした」

取材風景

まだ引越の梱包も開けていない状態。ここで大阪に戻るわけにはいかなかった。
「かけもちでアルバイトしながら就職活動をはじめました。2週間しか働いていないので何の実績もない。だから何でもやりますよ、というスタンスで求人を出していない企業にも連絡をとって会ってもらっていましたね。2週間でリストラにあった経験が珍しがられて、結構快い返事をもらうことができました」

そして、音楽関係の販促物を制作するデザイン事務所で企画営業職につくことになる。
「とりあえずデザインができそうな会社に入ったところ、とても忙しい会社だったので在籍するデザイナーだけでは回せない仕事が多かったんです。チャンスだと思いましたね。僕にやらせてくださいと言って、営業から帰ってきたら、デスクでデザインワークを遅い時間までやっていました」。

一週間会社に泊まり込みということもあった。たいへんだったけれど、やりたいことをやらせてもらえる状況に感謝していた。

銅版画との出会いが、海外で自分を試したい気持ちを呼び戻した。

仕事に慣れてきた頃、学生の頃の絵が描きたい想いが強くなってきていた。
「あるとき東京の町田市国際版画美術館ですごくかっこいい絵を見たんですよ。それが銅版画との出会いなんですが、それからいてもたってもいられなくなりました」

会社を辞めて銅版画の教室に通った。この素材で自分を試したい、さらに海外で試したいという想いが強くなってきた。
「英語もぜんぜん話せなかったのに、さっそくワーキングホリデーでカナダのトロントにあるケンジントンという街に住みました。運良く書家や写真家、美容師に物書きといった多くの楽しい日本人や黒人ミュージシャンがいるアパートに住むことができたので、刺激も大きく、いろいろな方に助けてもらいましたね」。

作業風景

カナダの印刷会社で働きながら、デザインやアート活動に専念する日々。多くのアートイベントへの参加やイギリスのアートオークション『Sothebys』などに作品を出品することもできた。また海外で知り合った方からの誘いで、日本人向けのフリーペーパー創刊の話を聞くことになる。
bits(ビッツ)という日本人向け情報誌です。音楽記事のライティングやデザインの仕事に携わらせていただきました。締め切りにも追われ、かなり忙しい日々の中、たくさんの面白い経験もでき、本当に楽しく充実していました。現在ではカナダを代表する企業になっていますよ」。

自分の中でこだわってやっていても、新しいものは生まれないと思う。

ワーキングホリデーの期間が過ぎ、日本に帰って最初は派遣で某家電メーカーの中で海外と日本の橋渡しをするような仕事をさせてもらった。その後は、ライブデザインというデザイン学校の立ち上げに参加し、DTPのインストラクターとして働くことになる。その頃、教えることで自分を知る、ということを学んだと語る。

インストラクターの仕事と並行して、個人の仕事を伸ばしていたこともあり、2年前から地元である天神橋筋近くにデザイン事務所「iD.」を構えた。また別のタイミングで天満橋の今泉版画工房株式会社の今泉さんとのつながりが大きな転機となった。

「アート活動をする中で銅版画をやるためにはプレス機など刷る為の環境が必要なんです。帰国後に知り合った今泉さんが南森町の会社で刷師をされていて、独立して天満橋の工房を構えられるタイミングでした。銅版画やシルクスクリーンなどのアナログ環境と共に版画をデジタルプリントできる環境をお持ちで、デザイナーとして出入りさせていただきながらも、公私共にいろいろとお世話になっています」。

今泉さんの会社は額縁・絵画販売の株式会社天勇さんが運営されているギャラリー「あーとスペース夢玄」の上にある工房だった。そのつながりもあり工房で版画を制作し、天勇さんで版画を売っていただいている。去年からはモデルルームや建築会社向けのインテリアアートとして抽象作品を発表し、アートワークの幅を広げている。


2009 Asia Digital Art Award
静止画部門優秀賞/デジタル版画作品

「ものづくりは自分の中でこだわってやっていても、新しいものは生まれないと思うので、外に出て人と出会うことを大切にしています。いろいろな方に出会えることってすごく贅沢なポジションにいると思うんです。いろんな方に自分や作品を知ってもらって、いろんな科学反応が起こる。いろいろ教えてくださった方にお返しできる場をつくりたいので、つなげる役をしていきたいですね。それはデザインに関わらず生きてゆく上で大事なことじゃないかと思うんですよ」。

就職してすぐに解雇される経験を受けた泉屋さんは、クリエイティブ活動ができる環境を常に「贅沢させてもらっている」と語っておられたのが印象的でした。その想いがきっと携わる方々に伝わるから、出会いをチャンスに活かしてこられたのだと感じました。

公開日:2010年02月17日(水)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ゼック・エンタープライズ 原田 将志氏