失敗は山盛り。どんな困難なときでも楽しもう!と思うんです。
築山 万里子氏:アサヒ精版印刷(株)

取材風景

大阪城南側の法円坂で80年前から印刷業を営む会社がある。「祖父が活版印刷の商売を創業して、英文字の活字を組むことがほとんどなかった時代に、貿易用のインボイスやレター関係などを専門でやっていたみたいです」と語るのは二代目社長の長女である築山万里子さん。プリンティングディレクターとして活躍し、多くのクリエイターからの信頼も厚い築山さんにお話を聞かせていただきました。

80年の伝統、工場がない印刷会社。

「時代の流れもあって『印刷機は辞める!』と父が突然決めたんです。『印刷屋に機械をなくしてどうするの?』と言われることもあったようなのですが、もともと受注するものに手のかかる凝った美術印刷が多く、いろんな工場の機械を回ってやっとひとつのものができる。それならその一部分ができる機械を持っていても、自社の工場だけで刷り切れるものってしれている。これからは優秀な工場とがっちり組んで、つくるものによってコーディネートする方法が良いだろうと、30年前にその方法に切り替えたんです」。


社内はまるでショールームのよう。外観からはとても印刷会社に見えない。

工場がない印刷会社。印刷機械がないと言うと「高いのでは?」と思われることもあった。今は理解のあるクライアントが多く、デザイナーが工場に見に来ることはほとんどないほど任せられている。

25歳でいきなりプロデューサー!?

築山さんご自身は短大の英語科を卒業し、服飾デザインの事務所に就職した。スタイリストになりたくて昼間働き、夜は服飾の専門学校に通う日々だった。3年間働き、退職。
「3ヶ月お休みをしてちょうどブラブラしている頃に、たまたまうちの会社に欠員が出て、ほんとに軽い気持ちで入社したんです」。

約3年間は、ひたすら色々なことを覚えながら、前任者の引き継ぎを含め単純な印刷物を回していただけであった。転機は25歳の頃に訪れる。


奥のディーターラムス展『純粋なる形象』のポスターと図録はニューヨークのADCの金賞を受賞した。

「いきなりカタログをイチからつくることになったんです。私の名刺にプロデューサーって書かれて。何の知識もなかったから、超うさんくさいと思いました(笑)。はじめて外部のクリエイターの方たちと組んで、その中でみんなを仕切る仕事をさせてもらったのですが、すごく緊張しましたね。お客さんから言われることをうまくコピーライターに伝えられないし、自分の中にまとめる能力がない中で、優秀なクリエイターのチームを前にして、ラフもかけないし、うまく伝えられないし、私は何もつくることができないから必死でした。でもみんな優しい方ばかりで、ゆっくり思い出してしゃべってみたら、と言われて。非常に温かいチームの中で仕事ができました。今でもいい仲間です」。

クライアントやデザイナーたちとコミュニケーションをとる難しさは、いつしか楽しさに変わっていった。
「ガソリンスタンドでいろんな景品があった時代があるのですが、一個ずつの商品をいかによく見せるか、シーンごとにひたすらつくっていて。商品を受け取りに行き、スタジオに持って行き、製版現場?工場を回り…、というようなことをずーっとやっていた中で、少しずつ制作の仕組みや楽しさがわかるようになってきました」。

プリンティングディレクターの醍醐味。


ふかふかした感触の特殊紙ヴィヴェールを表紙に使ったtypographic dialy。
雑誌「デザインの現場」でも取り上げられた。

「2000年ごろ、ずっと商品づくりをいっしょにやらせてもらっていたincomplete designの林功一さんから、私が印刷物をディレクションしているからという理由で、制作物にプリンティングディレクターという肩書きで名前を残してくださったんです。今まで制作物に名前が入ることってほぼなかったので本当にうれしかったですね」。

企画や制作の相談を受けてイチからモノをつくる仕事を半々ほど重ねてきたが、ここ最近はプリンティングディレクションの仕事が多いという。聞き慣れないこの仕事の醍醐味はどんなところなのだろう。

「どちらかといえば企画の段階から『どんな紙が良いかなあ』と言いながら打合せしていくのが楽しいですね。せっかくデザイナーが企画しても『予算の問題で無理!』というようなことってすごく残念じゃないですか。こういうものをつくりたい、というアイデアにいかに近いものをつくっていくか。いかにリーズナブルに見映えの良いものをつくっていくかをデザイナーといっしょに考えていく感じが楽しいですね。『ちょっと3mm縮めてもらったら…』というようなやりとりをして、いっしょにものづくりをしていけるところが面白い。自分自身がデザイナーではないので、あるものに対してあれこれ提案するのが得意な部分だと思うんです」。

広がり続ける築山流ネットワークの真髄。

東學 『天妖』



ページ途中で紙質を変えていたり、透かしを入れるなど、様々な印刷技術がふんだんに取り入れられている。

人脈の広さは父親である現社長の存在が大きいという。
「父はデザイン業界で後々に重鎮となった人たちと、飲みと麻雀の席でぐわーっとネットワークが広がっていたんです(笑)。その娘として紹介されるから可愛がられるじゃないですか(笑)。その方たちの元で頑張っているスタッフの方たちを自然に紹介してもらえたり…、そこにベースなつながりがあるんです。そこからどんどん広がっていった感じで…」。

人なつっこく語る築山さんはしっかりとそのDNAを受け継いでいる。工場さんとの関係はこうだ。
「ホットスタンプとか貼箱などの工場のおっちゃんとかに『こんなんやってみてや』『いやいやこうするんですよ?』と本当に現場でラフに話すところもあれば、『社長、お願いします』と、尊敬を持って関係を深めています」。

築山さんには大事にしている思いがある。
「紹介されたからには良い制作物をあげないといけない。そのようにひとつひとつを丁寧にこなすことで次へつながっていくのだと思います。飛び込み営業がないだけに、そういうつながりを大事にしていきたいです」。

その思いを形にしたものがプロジェクト629だ。社内外のクリエイターとアートで自分たちをアピールしていく試みであり、毎年開催することで人に会う機会がさらに多くなったと語る。そして夢は海外にまで広がっている。

「一時期海外とやりとりしていて最終的には実現しなかったのですが、そのやりとりで培った技術はムダではなかったし、短大で英語を学んでいたこともムダではなかった。今ファッションの仕事も結構やっているんですけども、スタイリストを目指していたことも役立っていると思う」。

さまざまな紙媒体の表現を数多く生み出してきた築山さんだが、順風満帆で今のポジションに辿り着いたわけではないことがわかった。中には困ったクライアントもいて、外で泣いていたこともあるそう。
「失敗は山盛り、面倒だと思うと自分にかえってくる。一瞬苦手だなと思う人でも、どこか共感できる面白いことを探すのが好きなんです」というエピソードをおうかがいすると、どんな現場でも楽しもう、というポジティブさやエネルギーが伝わってくるインタビューでした。

取材風景

公開日:2009年11月25日(水)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ランデザイン 浪本 浩一氏 岩村 彩氏