1920年代頃の“戦前音楽”を現代のビジネスに。
松井 朝敬(まつい ともたか)氏:Sweet Strings

大阪天満宮にほどちかい北区東天満にあるビルの一室。無垢板貼りの壁と床にかこまれた静かな空間がSweet Strings代表・松井朝敬氏のオフィス兼スタジオだ。壁に所狭しと掛けられたギターやウクレレ、そして見慣れない弦楽器たち。今まで多くのクリエイターを訪問してきたけれど、“1920年代の音楽シーンを再現している”というミュージシャンに会うのは初めてだ。どんな話が聞けるのだろうという期待と少々の緊張をともないながら取材がスタートした。


数々の楽器やレコード、楽譜などは松井氏をはじめとするメンバーたちが少しずつコレクションしたもの。

小さい音楽シーンでも、常に需要があるマーケット

「自分のことをクリエイターというのは好きじゃないんです。でも起きている間は常に音楽のことを考えているので、そういう意味ではクリエイターなのかもしれないですね」と静かに語り出す松井氏。BGMには松井氏率いるバンド・Sweet Hollywaiians(スウィート・ホリワイアンズ)の音楽が流れだした。ジャンルは1920年代頃の“戦前音楽”。その時代に蓄音機から流れていたSwing、Jazz、Hawaiianなどの音楽を再現しているのだそうだ。


レトロな楽器たちが並ぶスタジオ内は、大阪の中心地とは思えない空気感。

1920年代というと第一次世界大戦の直後。戦争で疲弊したヨーロッパと、それに変わって世界経済の中心となって独自の文化が花開くアメリカ。そんな一般的な知識しかないけれど、その時代にはこんな音楽が流れていたんだと、思いを馳せながら曲に耳を傾けてみる。
「普通に生活していたらなかなか聴く機会のない音楽のジャンルでしょう?でも世界を見渡すと、こういう音楽を必要とされるシーンは確実にあるんです」

実際に松井氏の音楽活動の範囲は日本にとどまらず、アメリカやヨーロッパにまでおよぶ。松井氏いわく「狭いシーン」の中にもコアなファンが各国にいるそうだ。その時代の音楽や文化を愛する海外のアーティストと親交があることも、バンド・Sweet Hollywaiians、そしてスタジオ・Sweet Stringsの質を高めていると松井氏は語る。
「世界的に見ても、僕たちほど内容とスタイルにこだわって音源を発表できるバンドはほとんどないと思います。毎年アメリカの西海岸を中心にツアーをするのですが、そのジャンルでは大御所と呼ばれるミュージシャンをはじめフィルムディレクター、イラストレーターなどが僕たちの音楽を認めてくれ、親しくしてくれるんですよ。だから普段から僕たちも自然と世界に気持ちが向いている。積み上げてきた経験が、今のような立場を作って来られたことは嬉しいですね」


デザインがモダンなので古い楽器には見えないけれど、右の銀色のスティールギターは1929年生まれ。80歳の現役だ。

スタジオの中でも、ひときわ目を引く銀色のギター。スティールギターと呼ばれるものだそうだ。鉄の棒を弦上で滑らせながら松井氏が奏でるその音色は、軽やかに独特の音色でスタジオに響いた。
「このギターは1929年に作られたものです。当時はマイクやスピーカーなどが発達していなかったので、楽器自体がライブで大きな音を出す必要があったわけです」いくつかのギターを見せながら、楽器が作られた時代背景や、形状の必要性などを理路整然と説明する松井氏。その口調は、ただ感覚だけの“音楽好き”ではなく、単なる古い音楽の模倣家でもなく、きちんとした知識と理論を持った“音楽家”ならではの言葉だと納得する。

10代の頃、音楽から世界が広がった

そんな松井氏がこのジャンルの音楽に興味を持ち始めたのは10代の頃。父親が聴いていた古いジャズや黒人音楽がきっかけという。
「凝り性なんでね。一人のミュージシャンを好きになったら、どんどん深く知りたくなるんです。どういう楽器を使って、どういう奏法で演奏しているのか。どんな音楽を聴いてそのスタイルを作ったのか。当時がどんな世の中で何が流行していたのか。そうして少しずつ深めていくうちに、20歳頃に自分のスタイルにたどり着いたんです」

知りたい情報は本物の情報源から得なければと、10代の頃からアメリカの新聞を取り寄せ、興味のあるレコードや楽器の広告を見つけてコンタクトをとっていたという松井氏。そのためには英語力も必要だ。ミュージシャンの生きた時代背景を把握するには歴史の知識も必要だ。“音楽”という一本の幹は枝葉を広げ、若き松井氏に生き生きとした世界を見せてくれた。
その後、大阪芸大音楽学科に入学。音楽工学を専攻し、楽器奏法だけでなく音楽理論やレコーディング技術などを学んだ。
「在学中は就職活動など考えたことがありませんでした(笑)それで卒業後は楽器店にアルバイトとして入ったんです。そこで楽器を売ったり、教えたりという以外に、楽器の修理もしていました。学生時代からアメリカの資料を読んで楽器の構造を研究したりしていたので、人が直せないような楽器も直せたんです」

その後独立。初めは楽器教室からスタートしようとしたものの、生徒の集め方が分からない。試行錯誤を繰り返しながら、徐々にペースをつかんでいったという。
「幸運なことに、ほとんど広告を出すこともなく、ほぼ評判だけで少しずつ生徒が増えていきました。今では4カ所で教室をしています。」

持ち前の勘のよさと、好きな音楽へのこだわりが、松井氏の周りに人を呼び、さらに輪を広げていったのだろう。それが“戦前音楽”というジャンルで名を馳せる、現在のSweet Stringsの原点だ。
「スタジオを立ち上げた頃は、仕事が少なくて大変だったこともありました。でも好きなことを妥協せずにやってきたという自信は常にあります。Sweet Hollywaiiansというバンドと、Sweet Stringsという音楽スタジオ。現在はそのどちらにも信頼をいただいているから、仕事の幅が広がっていくんだと思っています。評判は自分たちで作らなければならないと思っていますから。今後はギターなどの楽譜集や教則本の出版などを手がけたいですね」


同時代にフランスで作られたギター。アメリカ製とは形や音色が異なる。

クリエイターは消費されるものを作るだけではいけない

現在は教室運営、CD制作やレコーディング、イベント出演や企画、映像制作などを手がけるSweet Strings。幅広く活動するが、自分たちがやってきた“戦前音楽”の要素は常に意識している。その中でも一番大切にしているのは、やはりライブ活動だ。
「音楽というのは、まさに瞬間芸術です。だから記録されると同時に違うものになるという認識です。記録されるということは、量産され消費されるということ。もちろん仕事としてCD制作やレコーディングもやりますが、消費されるものを作っていくだけではクリエイターとは言えないと思うのです」

そして現在のクリエイティブについてこんなふうに語る。
「ぼくたちの住むこの世の中は、何でもより便利な方向にと向かっています。でもそこで失ってきたものもたくさんあると思いませんか?例えば今、パソコンがなかったら、みんな仕事ができないと困りますよね。でもこうしてクリエイターのネットワーク作りにみなさんが努力されているのは、デジタル、つまりパソコンの出現で人と人の横のつながりが薄れつつあるという事実があるから。まさに便利なもののおかげで失いつつあるものを取り戻すということです。僕たちクリエイターは、単に便利なものを否定するのではなく、便利なものを手に入れたからこそ世の中に必要とされているもの、残さないといけないものは何かを考えていかなければならないと思うのです」

天満の小さなビルの一室で2時間あまり、松井氏の音楽世界を拝見し、スタジオを後にした。この心地よい余韻はなんだろうと考えながらの帰り道、ふと思う。Sweet Stringsが作り出すのは、そして松井氏が愛するのは、当時の音楽だけではない。音楽を含めた、世界そのものなのだ。部屋に並んだ楽器たちをはじめ、松井氏が棚から取り出すレコードのジャケットや楽譜、スタジオに流れていたSweet Hollywaiiansの楽曲…その全てが1920年代の景色なのだ。松井氏はそんな世界にどっぷりとひたりながらも、音楽を学問として客観的に俯瞰する。そして現実的なビジネス感覚も持ち合わせている。そのバランス感覚を持ってこそ、心ゆくまで感性を生かし、特殊なジャンルの音楽を世の中に提供できる立場になれるのだろうと改めて感じた。


Sweet Hollywaiians(スウィート・ホリワイアンズ)のメンバーと、2009年7月に発売されたCD“TICKLIN’THE STRINGS

公開日:2009年11月10日(火)
取材・文:株式会社ランデザイン 岩村 彩氏
取材班:株式会社ファイコム 浅野 由裕氏、真柴 マキ氏