「作品」が独り歩きすることを思うと、制約が多いほうが燃えてくる
中井 秀人氏:(株)ノバック

奈良公園でシカの撮影をしようとしたら1頭も集まってこなかった、中国のロケでは言葉が通じず事前の段取りがまったく違っていたなど、撮影にまつわるドタバタ話が次々に登場したインタビュー当日。でも、それを話す表情はなんだか楽しそうです。「いい加減で出たとこ勝負。映像の仕事は、B型の僕にはぴったりなのかも」という中井さんに、これまでの足取りや今、興味を持っていることを教えてもらいました。

映画少年がいつしか経営者へ。「いややなぁ」が率直な気持ち

中井氏

ノバックが制作する映像は、テレビCMが約6割。残り4割は会社案内や商品紹介など、企業から依頼されるプロモーション用の映像だとか。制作にあたっては、ディレクター、カメラマン、編集者と、中井さんが1人で何役もこなすことも。得意な仕事はと質問すると…。
「それが一番困る質問なんです。なんでもやっちゃうんで。CMなら、固いものから軟らかいものまで、お客さまの要望に応じて大体は作ります。あえて言うなら、オーソドックスな作りのものが得意と言えるかも」

中井さんが映像の世界に興味を持ったのは子ども時代。映画が大好きで、専門学校でも映像を学びました。在学中、「自分の発想を自由に表現するより、与えられたテーマや制約の中で相手の要望をカタチにするほうが向いている」と感じ、卒業後は制作会社へ就職。フリーも経験し、現在のノバックの母体である株式会社エイアンドエイに入社したのは23年前です。デザインを中心に広告制作などを行っていた同社は、ビデオ部門も設けており、そこが中井さんの活躍の舞台でした。
そして、社内の組織再編にともなってビデオ部門を分社化。ノバックが設立され、中井さんが代表者になったのです。

「仕事内容はほとんど変わらないんですが、やっぱり原価などお金のことを気にしないといけないポジションですよね。どちらかというとお金には無頓着なまま制作をしていたので、社長業は『いややなぁ』というのが正直な感想なんです」

作り始めると、お金のことを忘れて「もっと、もっと」と思ってしまう

そんな中井さんが身を乗り出して語り始めたのが、昨今の映像制作を取り巻く世の中の状況に話題がおよんだとき。ご多聞にもれず、映像の世界にもコストカットの波は押し寄せています。それに対する恨み節や「昔はよかった」となるのかと思いきや、中井さんは少し違います。
「そりゃあ、予算も潤沢で、時間もたっぷりあったほうがうれしいです。でも、制約が多いほど僕は燃えてしまうんです。予算も時間も限られていて、しかもお客さまの要望は一筋縄にはいかない。そんなとき、『俺がなんとかしてみせる!』と思えてくるんです」
そこには、制作者としての意地があると言います。どんなに制作時の条件が厳しかろうが、完成したものはそれ自体がノバックの作品として独り歩きする。決して、作品が「予算が少なかったんです。時間がなかったんです」と言い訳して回ってくれることはない??。

資料

「どんな条件であろうとも、制作物が世の中に出た瞬間から、作品の質がノバックの評価を決めるすべてです。だから、作り始めると予算などの条件のことよりも、『こうすればもっとよくなる』『ここにもう少し手を加えればお客さんも視聴者ももっと喜ぶ』と思ってしまうんです。たまに、代理店さんなどから『やりすぎ』と言われることもあるんですけどね」
経営者となった今も消え去ることのない「作り手」としての中井さんの顔。それがあるからこそ、冒頭のような苦労話が楽しい話に変わってしまうのではないでしょうか。「想定外の事態が起こることのほうが普通」という撮影現場にも、嬉々として乗り込んでいくのかもしれません。

横のつながりを作って、新たなモノづくりに生かしていきたい

中井氏

中井さんは2009年春、メビックで行われた映像作品展「OAV.E」に出展しました。出展の理由を、「自分の表現を見てもらいたいからというより、他の人たちの作品を見てみたかったから」と言います。
「僕たちは映画やテレビにルーツがある、撮影してその素材を編集してというモノづくりをしているけど、最近はまったく違ったアプローチからも映像制作が行われています。それを見てみたかったし、そんな人たちの声を聞いてみたかったんです」


第一回 OAV.E 応募作品

たとえば、中井さんによると、グラフィックに軸足を置く人の映像は、細部まで緻密に計算しつくした作り方が勉強になったと言います。これは、日ごろは平面の世界でミリ単位にこだわり抜いているから生まれた作り方だろうとのこと。また、撮影してきた素材ありきではなく、ゼロから作り上げていく姿勢にも大いに刺激を受けたそうです。
「その中でもすごいと思ったのは、Flashを使った映像。『この切り口で来られたら、自分たちのやり方ではついていけない』と思ったものもあったぐらいです。でも同時に、『自分たちなら、ここをもっとこうするだろうなあ』という部分にも気がついた。お互いのいいところを組み合わせて、さらにいい映像作りができれば、と思うようになりました」

OAV.E出展以降、そこで出会った人との間で具体的な仕事が生まれたということは、今のところないとのこと。しかし、これまでは耳に届かなかったような情報も、「映像」がキーワードとなるようなものならばどんどん届くようになりました。歴史がある分、タテ社会の色合いが残る映像分野において、これは大きな一歩です。
「今はまだ、他分野について『知っている、聞いたことがある』というレベルです。でも遠くない将来、きっと『一緒に組める』というレベルにたどり着けると思います。むしろ、『一緒に組まないとやっていけない』という時代になるかもしれませんね。いずれにしても、そのときに備えて、分野を超えてつながりを広げていきたいと思っています」

これまでとは違ったアプローチで生み出される映像。そのなかで中井さんがどんな役割を担い、どんなモノづくりをするのか。今から楽しみです。

公開日:2009年10月21日(水)
取材・文:株式会社ビルダーブーフ 松本 守永氏
取材班:廣瀬 圭治氏