生粋の浪花男が発信する“コテコテの浪花ワールド”
やでぃ氏:ヤディウェブ

やでぃ氏

どこか懐かしいような味のあるキャラクターが、マウスのクリックに合わせて寸劇を披露する。これは、やでぃさんが制作・管理する『Yadiweb』のアニメコンテンツのひとつだ。同サイトには、Flashを使ったアニメやミニゲームがずらりと並んでいて、どのコンテンツも企画からキャラクター制作、プログラミングまで、すべてをやでぃさん自身で手がけている。適応力とアイデアの豊富さから揺るぎないキャリアを感じずにはいられないが、その人生は、なんとも奇妙な運命の赤い糸によって導かれていた。

はじまりは、人気ゲームの企画プロジェクト

今から20年ほど前、新卒で就職したのは証券会社だった。「営業マンとして働いていたんですが、サボリ癖のせいで業績はいつも悪く、同僚と最下位争い。そんなある日、なんとなく見ていた雑誌で、アーケードゲームを制作しているメーカーの求人広告を発見したんです」。遊びながら働けるのっていいな、と思ったやでぃさん。思い立ったら即実行である。営業中に抜け出して面接に挑むと、すんなりと入社が決まった。ところが、1年ほどバグチェックの担当を任されたのち、企画チームにまわされる。営業課を希望していただけに、プランニングの知識はゼロだった。「別段ゲームに詳しいわけではなかったし、絵も描けなかった。まさか自分が企画に携わるとは思ってもいませんでしたよ」。
初めてサブプランナーとしてプロジェクトに加わったのは、格闘対戦ゲーム『餓狼伝説2』。のちに、一世を風靡することになる人気シリーズだ。続いて、本格的にプランニングを手がけた『餓狼伝説Special』がバカ売れ。ユーザーの意見や要望をできる限り反映させたことが、新作のヒットに繋がった。やでぃさんはそれ以来、9年間に渡って同シリーズのプロジェクトの一員を務め、ヒット作品を生み出し続けた。

取材風景

そのヒット作の裏側で、やでぃさんはある悩みを抱えていた。「イラストレーターにキャラクターのカット制作を依頼しても、こちらの要望に応えてもらえないんです。1つの動きに5カットの絵が欲しくても、3カットしか描いてくれない。その割りに、このキャラクターを強くしてくれとプレッシャーをかけてくる。ユーザーや自分が思い描いているゲームが作れないことに、ジレンマを感じていましたね」。ならば、とやでぃさんは、企画書に自らキャラクターのカットを書き込み、手の動きや足の動きを細部まで指定した上でイラストを発注した。「通常はそこまでしなくていいんです。でも僕は、5カット描いてほしいなら7カットのイラストを描いてイラストレーターに渡すようにしました。ジレンマを抜け出したかったから。そうするうちに、描けなかった絵もなんとかモノになってましたね」。それでも、10年後には自作のイラストを主人公にしたゲームを作っているなんて、さすがに予想していなかっただろう。

独学で作り上げたFlashアニメが、道を開いた


ネットマン

その後、不況で会社が倒産に追い込まれ、転職先のゲーム制作会社でも思うように企画に参加することができず、職を失ってしまう。実家の工務店を手伝ったり、警備員の仕事をしたりと、いわゆるフリーター生活を3年ほど送った。そして、やでぃさんは再び、雑誌からヒントを得る。「Flashアニメが流行っているという記事を読んで、これなら自分にもできるんじゃないか、って」。ゲーム会社でプランニングの経験があるとはいえ、プログラミングに関しては素人同然。参考書を片手に、自己流でFlashアニメの勉強を始めた。「仕事の合間をぬいながら、半年くらいで『ネットマン』のアニメーションを作り上げました。最初は、これを仕事にするという気はなく、趣味として作ってみただけだったんですけど」。

Web上にアップされた作品を見て、「うちで連載をしないか」と声をかけてきた企業があった。当時、Web業界でトップをひた走っていたL社である。こうしてL社のコンテンツ上で公開しはじめたものの、“カワイイ系”の路線で売ろうとしていたL社の思惑が外れ、来るのは“キモイ”という感想ばかり。「1年で連載が中止になっちゃったんですよね」。そう言いながら、やでぃさんは頭をかいた。軌道に乗っていれば、得るものは大きかったはず。ダメージも大きかったのでは。しかし、そんな心配は、次の言葉で簡単に打ち消された。「僕のオリジナルアニメを見たフジテレビのプロデューサーから、新しいアニメを制作しないかと依頼があったんです。プロデューサーから直々に声をかけていただき、飛び上がるほどうれしかったですよ」。これぞまさに、捨てる神あれば拾う神あり。大手会社から連続でオファーがあるなんて、そうそうない経験だ。「でも、僕はその会社に言ったんです。キモイって不評だったんですよ、万人に受けないと思いますよ、と。そうしたら、キモイものを求めているんですと言われて(笑)、企画からすべて任せてくれました」。そこから生まれたのが、フジテレビの公式サイト『少年タケシ』で連載されている“浪花実録シリーズ”である。

好きな街・大阪から作品を発信していきたい


浪花実録シリーズ

“浪花実録シリーズ”は、大阪の日常で見られる母と子ども、警察官と市民などの何気ないやりとりをFlashアニメにしたもの。大阪で生まれ育った生粋の浪花男であるやでぃさんが見てきた光景を、自作のアニメでコテコテに、そしてユーモアたっぷりに表現している。「大阪という街が好きなので、浪花色の濃いアニメやゲームを作ろうと思って。フリーターで警備員をしていた頃のエピソードなんかも入っています。特に、“間”の取り方にはこだわりますよ」。ほかにも、モバイルコンテンツのFlashゲームを約100作品ほど制作してきたが、そのほとんどが東京の企業からの依頼だという。「東京へは打ち合わせなどでよく行きますが、やっぱり大阪が落ち着きますね。関西を地盤に、他の人が考えつかないようなアニメやゲームを発信していきたい」。語り口は穏やかだが、目は輝いている。

企業から依頼のあった商品企画だけでなく、自らのホームページで多くのオリジナル作品を生み出し続けている。それだけ作品を作れば、ネタが尽きるということはないのだろうか。「考えれば、いくらでも企画を生み出せる自信があります。そもそも考えるのが好きなので」と、今日一番の力強い言葉。ジレンマで悩んだ時期を乗り越えながら積み重ねてきた経験に裏打ちされた確かな自信だ。「でも、ホントのこと言うとね。絵はうまくなったけど、描くのが苦痛なんですよ」と、やでぃさんは苦笑した。
人生は、数珠繋ぎ。やでぃさんが経験してきたことがすべて数珠玉となり、ユーモア溢れる作品を形作っている。座右の銘が「七転び八起き」と言う通り、転んだら2倍のパワーで起き上がる強い心のバネを、やでぃさんは確かに持っている。「まだまだ、やってみたい企画は山積み。僕は僕なりに、じっくりと息の長い作品を生み出し続けていきたいです」

公開日:2009年08月04日(火)
取材・文:大久保 由紀氏
取材班:株式会社ゼック・エンタープライズ 原田 将志氏、カイエ株式会社 多々良 直治氏