回り道をしてやっと辿り着けた居場所を、離れるわけにはいかなかった。
福本 若芽氏:

「母は昼間、高校の美術の先生として働きながら、夜は定時制の高校で働いていました。今だったら考えられないと思うのですが、母の仕事が終わるまでの間、私はひとつ上の兄と美術室の横にある準備室で過ごしてました。美術の教材で遊んだりしていたので、何かをつくる楽しさはこの頃から知っていたのかもしれないですね」。

学生時代、運動部に所属したものの、体調を崩してあまり運動に向いていないことを悟った福本さん。将来のことを考えれば絵のほうに進みたいな、と思うのは自然な成り行きだった。
「福田繁雄先生の作品集が家にあったんです。トリックアートとか、戦争に関することとか、子どもでもわかりやすくてシンボリックで、シンプルの中にメッセージがこめられている。デザインの世界ってすごい、そういうモノをつくる人になりたいと漠然と思っていましたね」。そして大阪芸術大学デザイン学科に進学し、地元愛媛を離れた。

福本氏

デジタルからアナログの世界へ

最初はデザイナー志望だった。大学卒業後、印刷関係の会社に就職した。

「入社して1年目2年目って何もできないじゃないですか。好きなことができないなあと不満に思っていました。夢を描きすぎていたんだと思います」。

カタログを制作する作業が主な仕事だった。住宅機器のデータを整理する案件が次々とやってくる日々。パソコンの前に座っていると肌が硬直するような気分になった。電話の音が恐いと感じる自分がいた。会社の近所に住んでいたから、終電に関係なく仕事をしていた。不満もあったけれど、自分もできていないからしょうがないと言い聞かせていただけれど、身体はついていけず仕事を辞めることになった。

仕事とは別に、シルクスクリーンの機械を購入し、友だちとTシャツにデザインをプリントして、フリーマーケットなどで販売していた。ミシンでタグを縫いつける作業など、アナログな作業全部が楽しかった。

「まあ、病んでたんやなと思うんですけど。ずっと朝から晩までモノをつくることは好きだったし、もっと身体を動かしたいなあと思っていました。友だちに、大道具とかやりたいなあ、とつぶやいていたら、大道具の会社を紹介してくれて」。

会社では重いものを運んだり、色をつくって塗っていく作業など、アナログな作業がうれしかった。テレビ番組のセットを制作する日々。貢献できていないと感じる自分がいた。自分の居場所はここにない気がした。

あー、私すさんでいる!

「大道具の仕事をはじめた頃、月に一本程度でぽつぽつと個人とか知り合いから、デザインやイラストのお仕事をもらうようになったんですよ。おこづかい程度だったんですけど、やっているうちにパソコンの前にいることが嫌じゃなくなっていたんです。やっぱり戻ってくるのはここなんかなと思いはじめて、また今度はイラストレーターになりたいと言いふらしていたんです(笑)。京都のバーで一ヶ月無料でイラストを展示できることになって、やってみたんですね。そういう活動を聞きつけてくれたデザイン事務所の方からイラストのお仕事をいただくことになったんです」。

犬に関する情報を扱ったサイトで犬のイラストを描く仕事だった。それ一本で生活できるかな、というほどのギャラだった。
「でも実は、事業がうまくいかなくて未払いが続いたんですよ。もらえるはずのお金がいただけなくて、貯金も底をついて。一番貧乏なときは、なんばの街を下を向いて歩いていたんです。お金落ちてないかなと思って。あー、私すさんでいる!って気づきました」と笑い飛ばす福本さん。

当時24、25歳。疑うことを知らなかった。しかしこの体験が福本さんのクリエイター魂に火をつけた。
「ヤバい! ってようやく気づいて。売り込みにいかないと! と思い始めて、やっとイラストをファイリングしはじめたんです」。

福本氏

ほかの仕事に就くことやアルバイトなどで生活費を稼ぐことは一切考えなかった。それは一度、会社を辞めて、回り道をしてやっと辿り着けた居場所を、離れるわけにはいかなかったからだ。
「売り込みすらしてなかったんです。それでお世話になった会社の方の名刺を5?6枚ぐらい並べて電話をしようと思ったら、その名刺の方々全員からお仕事の電話があったんです」。そしてウェブサイトのキャラクターや、パンフレットのイラストを描く仕事が舞い込んできた。

キャラクターデザインを軸にやっていきたい。

現在は様々なメーカーやショッピングモールなどのサイトでキャラクターデザインを行っている。
「広告の仕事は描いたイラストやキャラクターたちが私を営業してくれるんです。それでようやく仕事が広がっていきましたね」。

貧乏が活力となっていた、と当時を振り返る。
「なかったらつくってしまえ、と思うようになりました。例えば自分で服を縫ったり、別にモノがなくても代用できると思いました」。

キャラクターデザインを軸にやっていきたい。活動の幅を広げるため、最近は意識して個展をはじめるようになった。「仕事と一旦違うところで絵を描くことで、絵のタッチとか違うものが生まれているような気がするんです」。

自分でテーマを決めるのが苦手だという。テーマを決めずに描いてみたら、小さいころの思い出が絵に込められていた。そして新しいタッチが生まれた。

「今しか描けない絵があるなと思いました。個展をやらない10年と、やり続けた10年は違うと思うので、これからも仕事と並行して個展活動を大事にしていきたいですね」。

福本氏の作品「昼寝」

福本氏の作品「キャッチボール」

公開日:2009年07月17日(金)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ビルダーブーフ 久保 のり代氏