人間の本質が面白くて、何も知らないことは罪だと思った。
松村 貴樹氏:LLCインセクツ

松村氏

大阪・南船場のクリエイティブなオフィスが集結する順慶ビル。そのビルの2フロアを使って記事制作しているのがインセクツだ。関西の情報誌やウェブサイトの記事を手掛け、2009年5月には雑誌INSECTを創刊したばかり。代表である松村さんにご自身の活動についてお聞きしました。

ニューヨークで人生を左右する
出会いがあった。

出身は京都府八幡市。学生時代はスチャダラパーなどの音楽の影響で'70年代のソウルのジャケットが好きだった。「アフロの顔出し感とかアホっぽさが好きで、そこからデザインって面白そうと思ったんです」。

デザインの専門学校に進んだものの、授業はクライアントに対してこういうふうに答えていくべき、というような実践的なもの。学校側の実績をつくりたいという商業的な感覚に馴染めなかった。「そんなの会社に入ったらわかるやろ、もっと発想力をつける方法を教えてほしい、と思っていました。つまらなく感じていましたね」。そして専門学校を辞めて単身アメリカに渡ることになる。

松村氏

「専門学校生の頃にニューヨークに行ったらすごく面白くて、ここで生活したいなと思っていたんです」。バイトで貯めた150万円を元手に、ニューヨークの語学学校に入学。途中、デザインの学校に編入。その頃、運命的な出会いがあった。

日本人コミュニティ向けのタブロイド紙があり、その編集長が日本の大手新聞社のニューヨーク支部でアートディレクターとして働いていた方だと耳にする。「作品を見てもらおうと会いに行ったんですが、まさか風俗とか扱うような新聞とは思っていなくて…」。やりたかったデザインの世界とは違ったものの、なんでもアリな雰囲気が水に合い、そこで2年間働くこととなる。

月2回発行している新聞で、デザインするのがメインの仕事だった。「半分は地域的なニュースで、半分は風俗というものだったので、女性には極端に嫌われているメディアでしたね(笑)。批判的な投書もたくさんありましたよ。ニューヨークのアングラなノリなのかもしれませんが、そんなクレームの投書に対しても、さらに紙面上で糾弾する、そんな媒体でした」。

デザインだけでなく、取材することにも携わった。風俗嬢にもインタビューした。「批判する女性の気持ちもわかります。実際に彼女たちと話をすると浅はかなのもわかる。ブランドモノのバッグが買いたいなどの理由や、お金にルーズなせいで身体を売ったりしているわけですから。ノイローゼになっている子も見たけど、真面目にやろうと思って働いている姿も見て、関わらないとわからないな、と思いました。人間の本質みたいなところが面白いし、知らないのって罪やと思ったんです」。

自分たちが面白いと思う媒体がなくなるのは嫌だったし、
それなら自分たちでつくろうと思った。

学生ビザが切れて日本に帰国。1、2年すればまたニューヨークに戻ろうと思っていたそう。インターネットでお仕事紹介的なものを見ていくつか仕事をしたが、広がりがないので意味がないと考えた。その後、京都の学生ベンチャー企業がライターの募集をしているのを見つける。それがきっかけで映画関係の取材をさせてもらうことができた。「宮崎あおいさんのインタビューをさせてもらったりして、アングラな世界から突然、華やかな世界にきた感じでしたね(笑)」。

大手企業の仕事に携わり、法人でなければ仕事を請けるのが難しそうなので、ほどなく会社を立ち上げることになった。それがインセクツ。雑誌の編集記事やウェブのコンテンツの仕事に携わった。

事務所風景

忙しい日々の中、クライアント先の京阪神エルマガジン社が、人気雑誌エルマガジンを廃刊すると耳にした。
「雑誌をつくるなら今しかない、と思いました。僕らは雑誌の編集をやるけれど、一冊まるごと受け持つということはやったことがなかったんです。ある意味では、チャンスかもしれないと思いました。僕ら編集プロダクションは、出版元が仕事をおろしてくれて成り立つんですよね。あそこはエンタメが強いからそこに頼もうとかいう感じで。こんなに出版業界が冷え込んでいたら編プロは貧困状態なんですよね。パイがどんどんなくなっているし、そうすると値段の下げ合いが起きますよね。そこに巻き込まれるのは嫌だし、そこから抜けたいなと思ったんです。それに、単純にエルマガみたいな面白い雑誌がなくなっていく中で、面白いと呼べるものがなくなるのは辛いし、それなら自分たちで出そう、会社の体力が多少あるうちにやらないとまずいなと思いました」。

ちゃんと世代交代していきたい。

INSECTS創刊0号は生駒を特集した。
「生駒に面白い店があるらしいと聞いて、最初は山岡ピザさんを目指して行ったんですよ。軽自動車で。めちゃくちゃ雰囲気がいいなと思ったんです。情報誌のように、店単位で紹介するのは生駒の良さが伝わらないよね、とスタッフと話しました。生駒全域のカルチャーが面白いから、そういうのを特集にできたら面白いよね、と言ってました」。

松村氏

日常の編集制作業務を遂行する中、並行して創刊準備を行った。制作にギャラが出せるほど資金はない。だから社内でそんな条件でも携わりたいという人を募った。そしてスタッフの一部のメンバーが創刊メンバーとなる。
「なんでも決められるのが嫌な性格だったので、自分たちで考えて決めてほしいと思っているんです。徹夜が続いてしんどい作業でしたけど、雑誌をつくってよかったと思います。坂本龍一さんを取材ができたのも、スチャダラパーのお三方を取材できたのも、この雑誌があったからこそだと思います」。人生を通して運が良いと語る。「版元さんが書籍コードを貸してくれるって言ったのも運が良かった。寝たらすぐに忘れる性格なので忘れているだけかもしれないけれど、そんなに嫌なことって経験していない。気にしていてもしょうがないな、と思うようになったのは、ニューヨークでアングラな世界を見てきたからかもしれないです」。

現在33歳。「7年後に同じことはできない。ちゃんと世代交代していきたいな、と思っているんですよ。若い子たちについていきたい、触れていたいというのもあるですけど、新しい子たちを入れて循環させていきたいなあというのもあります。今の状態にしがみついていたら、次に進めない気がしますから」。

IN/SECTS

公開日:2009年06月30日(火)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:カイエ株式会社 多々良 直治氏