自分は何をしたいのか、認識することが大切
岩本 勝也氏:エンバディデザインアソシエーション

tetote

北浜駅から難波橋を渡り、堂島川沿いに歩いていくと、真っ白なビルが見えてくる。ここが、空間デザインで有名なエンバディデザインの拠点。地上4階建ての建物のうち、1階はカフェ、上階はオフィスやショールームになっている。今回は1階のカフェ「tetote」で、エンバディデザインの代表・岩本さんにお話をうかがった。

「エンバディデザイン」と「レーベルクリエーターズ」

カフェ「tetote」は、岩本さんがエンバディデザインとは別に立ち上げた、有限会社レーベルクリエーターズが運営する店。扉を開くと、木材とタイルが埋め込まれたれた壁や床、布張りのソファなどが温かく迎えてくれる。奥の壁は全面ガラスになっていて、外の緑あふれる景色が大きな一枚の絵画のようにも見える。もちろん、空間デザインを手がけたのは岩本さんだ。

「じつはこのカフェ、壁も床もソファもすべて端材でできてるんです。木材や布の本来なら捨てられてしまう部分に新たな価値を与え、モノづくりに活かしたい。レーベルクリエーターズの自社レーベル『Label creators』で進めているモノづくり・コトづくりプロジェクトの一環です」

そう、岩本さんはいま、レーベルのために奔走している。2004年、大阪に1号店となるカフェとオリジナルアイテムを販売するショップを立ち上げ、2008年の10月には東京でもカフェとショップ、そしてギャラリーをオープンさせた。「再生」や「日本独自のモノづくり」といった理念が共感を呼び、一部では高い評価を得ているが、まだまだ運営は“つなわたり状態”だと笑う。どうやら、お金のためにやっていることではなさそう。それではなぜ、自社レーベルを立ち上げたのだろうか? その答えを探るため、岩本さんの軌跡をたどった。

世界をめざし、東京で就職

岩本氏

岩本さんが空間デザインやインテリアデザインに興味を持ったのは高校生のころ。当時の日本は、バブルの真っ只中。夜な夜な遊んでいたクラブのけばけばしい内装に顔をしかめては、「センス悪いな、俺ならもっとかっこいい店にできるのに」と思っていた。建築・施工会社を営んでいた親の影響もあり、大阪芸大に進んでインテリアデザインを学ぶ。

「当時、ディスプレイ会社でアルバイトしたり、学生ながら展示会のブースをデザインさせてもらったりして結構稼いでましたよ。卒業後、そのまま大阪で働くのも悪くなかったのですが、尊敬していた倉又史朗さんや杉本貴志さんに面接してもらう機会もあり、世界のマーケットを視野に活動するなら東京に行くしかないと感じるようになりました」

大学卒業後すぐに上京し、23歳で丹青社へ入社。ミュージアムデザインのチームへ配属され、入社早々、博物館のデザインを任されることになる。

「丹青社では博物館や美術館などの公共施設のデザインを専門にしていました。たとえば博物館なら子どもからお年寄りまでの層に楽しんでもらうにはどうしたらいいかを考えなければなりません。体系的に展示するのか、時間軸で展示するのか…などとじっくり時間をかけて展示構成を練り、最新の設備でもって実現する。いろいろな経験をさせてもらうなかで養ったものは本当に大きかったと思います」

売れっ子商業空間デザイナーへ

空間・インテリアデザイナーとして、順風満帆のスタートをきった岩本さん。ところが、3年後には会社を辞め、故郷の大阪へ戻ってしまう。

「会社員時代は自分の恵まれていた環境を理解していなかったんですよね。DDAだとかの賞をたくさんもらったり、社内の営業マンに『岩本ならこのコンペ獲れるよ』って期待してもらったりしているうちに、天狗になっちゃったんです。俺に任せれば何でもできる、みたいな(笑)。たった3年勤めただけで独立を決め、ちょうど家庭の事情もあって大阪へ戻ることに。いま振り返れば、もっと有名になってから独立するとか、打算があってもよかったなと思いますけどね(笑)」

大阪には、10代の頃から一緒に遊んできた先輩や友だちがいた。そのなかのひとり、当時はまだ無名だった間宮吉彦氏の事務所を間借りし、フリーで活動をはじめる。同時に、これまで手がけてきたミュージアムデザインなどから一転し、商業空間のデザインにも本格的に取り組みはじめた。

「結局、間宮さんの事務所にいたのは1年くらい。懲りない性格なのか、また『この調子ならひとりでもできる』って勘違いしちゃって(笑)。1992年にEMBODY DESIGN ASSOCIATIONを設立しましたが、当初は丹青社などからミュージアムデザインの仕事を請けつつ、商業空間のデザインもぽつぽつやっているという感じでした。完全に商業空間のデザインだけでやっていけるようになるまで、独立してから3年くらいかかったんじゃないかなぁ。28歳のときに、もう下請けの仕事は一切しないって、決めたんです」


EMBODY DESIGNのオフィスにて

それ以降、商業空間デザイナーとして、徐々に知名度を高めていった岩本さん。特に2000年以降の活躍はめざましく、東京や大阪の飲食店、美容室、ショップなどのデザインを次々に手がけ、賞をもらい、作品集も出版した。現在、空間デザインの世界で岩本さんの名前を知らない人はいないだろう。

「仕事上のポリシーはたくさんありますが、いちばん大切なのは“やさしさ”だと思うんです。どれだけいろんな人の立場になって考えることができるか、相手を思いやれるか。たとえばデザイナーのいちばんの使命はクライアントのビジネスを成功に導くことなので、ビジネスパートナーとして、相手と何でも言い合える関係を作らないといけない。だから僕は、ケンカできない人とは一緒に仕事しないですね」

デザインでできること

これまで数々の人気店を世に送り出してきた岩本さん。新しい施設ができていく一方で、モノが粗末にされたり、消えたしている現実も目の当たりにしてきた。食の安全ばかりが叫ばれるけれど、じゃあモノづくりは大丈夫なのか? 日本のモノづくりは、きちんと受け継がれていくのか? 自分には、流行の店をつくることしかできないのか?

岩本さんの胸の内にひっかかり、どんどん大きくなっていく疑問への回答??それが、自社レーベル『Label creators』だった。モノづくりの現場から出る端材をただリユースするのではなく、デザインの力で新しくする。優れた技術を持つ職人さんや技術者と協力して、現代の暮らしに生きるモノをつくる。日本各地の優れモノを全国から集めて提供する。どれもEMBODY DESIGNではできないものばかりだと考えた岩本さんは、別会社を立ち上げようと決意した。自分の名前は前面に出さず、レーベルの理念と製品のクオリティだけで勝負しようとも。

製品(Tシャツ)
作業所風景

「新しいレーベルのことを周りの人間に告知すると、みんな口々に『そんなん手間かかるだけで儲かれへんで』という。たしかに、立ち上げから半年ほどはなかなか僕らの取り組みを理解してもらえず苦労しました。でも、しんどかったときも今も、僕自身は楽しいんです。自分がやりたいことをやってるから。EMBODY DESIGNとLabel creators。両方の仕事をすることで、自分の気持ちのバランスをとっているのかもしれませんね」

冒頭で紹介した端材を使ったカフェのほか、泉州の職人と一緒に作ったテーブル、和歌山の繊維会社と作ったTシャツ……。Label creatorsには、理念なんか知らなくても、見るだけで素敵だとうれしくなるモノやコトが並んでいる。

「とにかく、いまはできるだけ多くの人にレーベルの理念を伝えたい。僕らだけじゃなく、モノづくりに関わる人たちみんなが意識的に行動して、価値を高めていけば、世の中はもっと元気になると思うんです」

デザインはモノのかたちを考えるだけじゃなく、物事の仕組みそのものも作っていくことができる。いま、その可能性にチャレンジしている岩本さんがめざすのは、地方や世界という場所をステージにしたデザインではなくなった。それは、“ソーシャルデザイン”ともいえる、デザインの対象の概念を一度フラットにしてつむぐモノ・コトづくりなのだ。


『Label creators』ショップ

公開日:2009年02月09日(月)
取材・文:岸良 ゆか氏
取材班: 廣瀬 圭治氏、株式会社ライフサイズ  杉山 貴伸氏 東 恭子氏、株式会社ドライブ  芦谷 正人氏