モノ作りは“息止めて数秒”の世界じゃない
江 弘毅氏:(株)140B

事務所入り口のロゴ

「140B」と書いて「いちよんまるびー」と読む。京阪神エルマガジン社の情報誌『Meets』の編集長だった江さんが立ち上げた編集集団の社名だ。今回、“総監督”の江さんに話をうかがうために訪れたのは、中之島の西部に位置するダイビル。大正モダンの名建築として知られるこのビルの、140B号室に事務所はあった。

『Meets』の元名物編集者、だんじりエディター、新書『「街的」ということ』の著者??。そんな枕詞とともに江さんの名前を記憶している人も関西には少なくないだろう。雑誌や書籍、ラジオ、時にはテレビで展開してきた独特の「街論」のルーツはどこにあるのか。探ろうと尋ねると、「それね、いま雑誌に連載してんねん」と笑われた。月刊誌『本の雑誌』に連載している回想記、「ミーツへの道」のことだ。

“ディープ・サウス大阪”の岸和田っ子、神戸へ

江氏

江さんは、だんじりの町・岸和田で生まれ育った。自他共に認める大阪の“ディープ・サウスエリア”で、濃厚な中学、高校生活を送ったのち、神戸大学へ進学する。

「岸和田の自宅から神戸の大学へ通うのに、南海電車、地下鉄御堂筋線、阪急神戸線を乗り継ぐ。片道1時間半の間に車内の風景がガラリと変わるのがおもしろかった。南海電車の社内ではおばちゃんがミカン食べているかと思ったら、御堂筋線ではデキる風のOLをいっぱい見て、阪急電車では品のいい中年婦人に囲まれる。高校までは地元のお好み焼き屋、居酒屋とかパチンコ屋しか知らんかったのが、急にハイソな人らの中に放り込まれて『こんなん世界もあったんか』って衝撃を受けたなぁ。ただし、どんな新しい遊び覚えても、相変わらず地元の友だちは大切にしたし、秋はだんじり祭に夢中でした」

ええ店だけの情報誌『シティマニュアル』

大学在学中に平凡出版の『POPEYE』の編集を手伝ったことがあった。そのとき初めて雑誌編集を経験し、就職活動時はいくつかもらった内定の中から神戸新聞グループを選ぶ。

「当時、神戸新聞が作っていた『神戸からの手紙』ってファッション誌がめちゃくちゃかっこよかったんですわ。1981年に入社してマーケティングセンターに配属されると、しばらく『ワンダフル・コウベ』っていう神戸のガイドブックなんかを作ってましたね」

その後、神戸新聞グループのひとつ、京阪神エルマガジン社から「Lマガの別冊を作ってみないか」と声がかかる。オファーを受け、神戸新聞マーケティングセンター所属のままエルマガジン社へ転勤。そうして手がけたのが、『Meets』の前身となる『京都・大阪・神戸シティマニュアル』だった。関西をメインに紹介する情報誌がほとんどなかった当時、東京発の情報誌に登場する京阪神の飲食店の記事を見るたび「ぜんぜんわかってないやんけ」と歯がゆい思いをしていたという江さん。“いい店”とは、いったいどんな店なのか。それが、『シティマニュアル』を作るにあたっての需要なテーマになった。

「そのころはいわゆる“グルメライター”なんかいなかったし、いつもお世話になってる街場の先輩たちにライターとして参加してもらって誌面を作った。あれは正解やったな。ネタが抜群でした。その後、『Meets』を経て今も付き合ってる人もいっぱいおりますよ」

満を持して本屋に並んだ『シティマニュアル』は、発売2日間で完売。成功を背景に本格的に新雑誌を立ち上げることになり、江さんは1988年、エルマガジン社へ移籍した。

全国から注目される関西ローカル誌『Meets』の誕生

本

『Meets』が創刊されたのは、1989年。立ち上げに参画した江さんは、1993年に編集長になり、その後、エルマガジン社を退社する2005年まで、15年以上にわたり街場に立って、『Meets』をぐいぐいと引っ張ってきた。

「情報誌やから店を紹介するんやけど、店のデータはあんまり書かんとこうと。ハンバーグの重さが何グラムやとか、柳宗理の椅子があるとか、そんなことは二の次でいい。それよりも、自分と店との関係性、自分と街との関係性に焦点をあてた。『なんでこの店で食べるうどんはこんなに旨いんやろか』とか『なんでこのお好み焼き屋では日の高いうちから飲むことが罷りと通ってるんやろか』とか、そんなことばっかり。僕の言う“街的ということ”をとことん突き詰めていって、それがおもしろかった」

個性的なライター陣の街紹介に加え、今や多方面から引っ張りだこの大学教授・内田樹さん、作家の富岡多惠子さんらによる連載コラムも始まった。『Meets』はまたたく間に、関西はもとより全国でも注目される情報誌になっていく。
「ほかの情報誌との違いは、インデックスを見れば一目瞭然やよね。インデックスとは、つまり雑誌の指標のこと。『イタリアン』『フレンチ』『カフェ』やゆうて、遊び心のないカタログ的な情報を並べてもおもろないやんか」と江さん。
ここで、『Meets』の別冊ムック『神戸本』の目次を見てみよう。

 神戸が神戸である理由。
 「いかにも」、な小バコ。
 餃子は味方だ。
 ザ・二代目。
 路地裏の深夜メシ。

……こんなに楽しくてキャッチーなコンテンツがずらりと並ぶ雑誌なんて、たしかにほかにない。「ムック本はほんまによく売れたで?。出せば売れるっていう状態やったな」というのもうなずける。

考えて、また考えて、考え抜いて作る

月刊島民

2005年、江さんは京阪神エルマガジン社を退社。『Meets』編集部にいた数名の仲間と一緒に140Bを設立した。その後は、著作を出版したり、ラジオ番組を持ったり、たまにテレビに出演したりと活躍の場を広げながらも、やっぱり本業は編集。70代をターゲットにした新しい雑誌『ななじゅうまる』や、中之島のフリーペーパー『月刊 島民』を作り、今も街にどっぷりと浸かっている。
そんな江さんの目には、関西で活躍するクリエイターと呼ばれる人たちはどう映っているのだろう?

「クリエイターですか? そうやなぁ…。とりあえず、僕らとしては広告をクリエイティブなものとして認めたくないよなぁ。だって、広告は商品を売るための装置やけど、こっちは“本”っていう、商品そのものを作ってるねんから。いや、若いときは広告ってカッコエエなぁって思ってたこともあったけど、今は違う立場やね。ビジネスモデルとかプランやとか言うクリエイターに興味はないですね」とピシャリ。

関西のクリエイターに足りないもの??それは、根性だと江さんはいう。

「資本っていうかお金に対して、すぐに跪いてしまう人が多いでしょ。それに、たとえば通販カタログの写真撮ってるカメラマンで、『これは食べていくための仕事なだけで、ライフワークの写真は別に撮ってます』とかゆうて余裕かましてるヤツ。ああいうのも好きじゃないですね。通販カタログでも何でも、その気さえあればめちゃくちゃおもろいモノが出来上がるのに。モノ作りは、息止めて何秒っていう世界ではない。考えて、また考えて、考え抜いて作っていくもんでしょう」

江氏

この時点で、目の前のテーブルにはタバコの吸殻が山積みになっていて、江さんは冷たいお茶を何杯もおかわりしていた。途中、自分たちの作った雑誌や本に話がおよぶと、実物を開いては「ほら、この特集スゴイやろ?」「これなんか良く書けてるやろ?」と自信たっぷりにたずねる。もちろんどの作品も、文句なしにおもしろい。今の関西に、自分の作ったものをこんなに無邪気に自慢できるクリエイターが、一体どれだけいるというのだろう?

関西の情報誌は、あと2?3年の賞味期限だといわれている。これからは140Bもウェブ媒体にシフトしていくのか、最後にそれが気になった。

「それはないですね。やっぱり紙媒体でしか伝わらんものもあるし、何より僕自身がモニターのスクロール苦手なんですよ。実は、3年後くらいに周りがアッと驚くようなもん立ち上げようと思ってるんです。まだ秘密ですけどね」

“街的ということ”を追いかける江さんの仕事に終わりはない。岸和田も神戸も中之島も、どんな街も変わることを止めず、刻々と姿を変えていくのだから。


江さんと代表取締役の中島淳さん

公開日:2009年01月09日(金)
取材・文:岸良 ゆか氏
取材班: 真柴 マキ氏