良い番組がつくれるという評価を、持ち続ける努力が必要。
都間 清之氏:(有)パワーステーション

天神橋筋六丁目に関西で人気のバラエティ番組や情報番組を制作している会社、パワーステーションがある。同社を率いる都間さんに、これまでのこと、これからのことをいろいろ聞かせていただきました。

夜中まで編集作業が続き、会社の廊下に新聞を敷いて寝ていた。

ずっと商社マンになるのが夢だったという都間さんの心が大きく変化したのは、大学4年生の就職活動の時期だった。

「うちの叔母が東京でテレビの制作会社に勤めていたのですが、どんな仕事なんだろうと思って話を聞きに行ったら、番組づくりの面白さを聞かせてもらえたんです」。そしてテレビ局や制作会社の入社試験を受けたものの結果は惨敗。しかし夢はそこであきらめず、留年して1年後に制作会社に入社を果たす。「プロポーズ大作戦」や「クイズMr.ロンリー」など、関西を代表する番組を手掛けている会社だった。

都間氏

「テレビの世界はしんどいとか、きついというのは聞いていたけど、実際僕らが入社した頃は仕事って教えてもらうものじゃなくて、見て学べという世界でした。今みたいに継続的に新人を入れて、というシステムではなく、その会社では5年ぶりの新卒採用だったから、先輩も戸惑っておられました。とりあえず見ておけ、と言われて、編集作業などをずっと後ろで見ていましたね。夜中まで作業してウトウトしてくるとスリッパで叩かれるんですよ(笑)」。

会社のソファで先輩たちが寝て、新人は廊下に新聞を敷いて寝ている、そんな毎日。

「最初はこれやってみろ、と言われてちょっとだけ映像をつながせてもらって、ちょっと短いコーナーを担当して、今度はタレントさんありのコーナーを担当して、とだんだんできる仕事が広がっていって、メジャーな仕事を経験できたときは楽しかったですね」。

漫才師、いくよくるよさんを京都まで車で送迎したときのこと。「僕は前の席で運転しているからわからなかったのですが、夏前だったのにリアのヒーターが入ったままだったんですよ。おふたりは何ともおっしゃっていなかったのですが、到着するとおふたりとも汗だくになってしまって、先輩にえらい怒られました」。

はじめてディレクターとして担当したのは教育番組。「20分程度の教育ドラマでした。大阪の児童劇団の子役さんたちを引き連れて奈良の学校で一般の学生に混ざって演技してもらったんです。カメラマンも照明さんもベテランの人ばっかりで、人を動かすことが難しかったですね」。

3年間のうちに、3回は辞表を書きました。

そもそも人としゃべるのが苦手だったという都間さん。3年目の頃、会社に行くのが嫌で梅田駅から会社に向かうことができず、まっすぐ前を向いて歩く努力までしたそう。自律神経失調症だった。「辞表を出しました。部長がひき止めてくれるだろうと思ったら、『あー、そうか』と一言だけ返されたんです。しかも、『辞表の字が間違ってるで』って言われて(笑)。それでなんだか辞める気が失せました。今考えると、先輩の人たちが俺をどう思っているんやろ、ということにすごく気がいっていたんだと思うんです。もう別に、自分はこういう人間なんだというのを出すようにしよう、そう思うと気が楽になりましたね。当時はやっぱり自分たちのやっている仕事にプライドがあったから、辞めたければ辞めればいい、という風潮が業界の中であったと思います。ある程度自信ができるまでは結構時間がかかりますね。僕の場合は30、31歳ぐらいからですね」。

「クイズ!紳助くん」という番組は、15年前の立ち上げ当初から現在までディレクターとして携わっている。「売れているタレントさんってやっぱりコメントがうまいけれど、番組の中のなにわ突撃隊という吉本の若手のグループはコメントがうまくない、そんな人たちを連れて番組づくりをして、番組が注目されていきました。そのことが今の自信につながりましたね」。

収録中、気になるのは司会者である島田紳助さんのリアクション。「一度何かのVTR後に感動して泣いておられたことがありました。そのときは『やった!』と思いましたね」。

収録風景

旅モノなどの仕事が多いため、ロケではありとあらゆるところに行っている。「沖縄には44の有人の島があるらしいんですが、そのうち27は行きました(笑)。漁船にもしょっちゅう乗ります。漁船に乗った時間で言うと、日本有数やと思いますよ(笑)」。

いろいろな番組ができるようにしていきたい。

現在、制作会社の代表である都間さん。「何かの番組をレギュラーで全部仕切って、というのが理想ですが、まだそこまでには至っていない。それぞれはディレクターとして活躍していると思いますが、この業界も単価が下がったりとか番組が急に終わったりとかする世界です。僕だけが動いてもしれているので、各ディレクターは営業も兼ねないといけないと思っています。僕自身も2回会社がかわっているけど、仕事はそのままついてきました。だから番組をつくっていればいいわけではなくて、人間関係を築くことや営業マンとしての努力が大切だと思いますね」。

都間氏

都間さんは、できるだけ社内のスタッフと話をするように心がけている。「会議もやりますけど、若いスタッフがつくったVTRをみんなで見て意見を出しあったりしています。できるだけ業務伝達事項だけじゃなくて話をしていきたいですね。『若手に良いスタッフがいるんでしょ』とテレビ局の方から相談があるとやっぱりうれしいし、いろんな番組ができるようにしていきたいですね。どこまでテレビにこだわっていけるのか、が課題になるかもしれません。いけるところまではいきたいです。そのためにも良い番組がつくれるという評価は、持っておかなければいけないですね」。

公開日:2009年01月05日(月)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ファイコム  浅野 由裕氏