いくつになってもプランニングは衰えない、そんな生き方を。
横田 彰宏氏:(有)ソニックブーム


事務所の片隅にはギターがズラリ。

学生時代は鉄道やギターにハマったという横田さん。「鉄道の写真を撮って、自分で現像して、さらに鉄道模型をつくって、電車の音を録音したり、全部やりたくなるんですよ(笑)。そのあとギターにシフトして、エレキを弾きたくなって、ドラムを叩きたくなって、ギターも弾いているだけでは嫌で、楽器屋でリペアのバイトをして…」と、お話好きの横田さんに、これまでのこと、これからのことを、根掘り葉掘り聞かせていただきました。

コピーライターから、企画ディレクターまで幅広く経験した。

バンドに打ち込む生活から一転、大学卒業前に将来の仕事を考えるようになる。「友だちから、『お前コピーライターみたいなん向いているとちゃう?』と言われて、宣伝会議のコピーライター講座に通ったんです。法学部の4年生でしたね。遅すぎるでしょ(笑)」。そして卒業後、大手家電メーカーの仕事が中心のプロダクションで、コピーライターとして働くことになる。

「コピーの仕事は夕方までで、それから終電ぐらいまではデザイナーのアシスタントをやらされるんですよ。当時は紙焼きを焼いたり資料集めしたりで嫌だったけれど、デザイナーがどういうことをするのか工程がわかりますよね。次の会社でカタログをつくっていたんですが、その経験が役立ちましたね」。

その後はカネボウファッション研究所へ販促の企画マンとして働くことになる。「結構自由にさせてもらいました。商品企画や販促の仕事を経験したのですが、ファッション業界独特の方法論があって面白かったですね。例えばテイストというのがあって、花の柄とか味わいはどうかとか、ものすごいニュアンスにこだわる業界なんです。ファッションビジネスの仕組みってすごく複雑で面白いんです。昔流行ったものを今風にアレンジするとかね。微妙な感じがうまいんです。そこで商品企画と広告の販促企画の双方をすごく学びました」。

33歳で独立。自分自身の方法論を試してみたかった。

「一番はじめにコピーライターになったときに、この仕事は自分でやらんとオモロくないな、と思ったんです。漠然と35歳ぐらいまでに独立しようと思っていました。自分の方法論を試したいなということもあったりして無謀に辞めましたね、何も仕事はなかったけど。バブル崩壊直後だったので、『たいへんなときに辞められて』と応援なんか、哀れみなんかわからんメッセージをいろいろいただきましたね(笑)。『独立はいいけど、孤立はあかんで』って言われたんですよ。大阪の北区にデザイナーの知り合いが3人ぐらいいたので、このエリアがいいなと思って事務所を構えたんです。独立してうれしかったのは今でも続いているんですけど、学生服メーカーのクライアントさんからの仕事です。カネボウ時代からのお付き合いですが、引き継げるわけがないと思って何も言わなかったんですけど、引き継いでほしいと向こうから言ってくださったんですよ。もう20年ぐらいつきあいがありますね」。

おしゃべりは三文の徳。

「デザイナーじゃないから、こういうのをやってます、って見せれないでしょ。最近思うのは『おしゃべりは三文の徳』やと思うんですよ。あっちこっちで自分の情報をばらまいておくというのが必要だと思います。ジェフベックのファンサイトを運営しているんですが、好きと言い続けたら仕事につながったケースが多いんですよ。ジェフベック好きな仲間が大手銀行に勤めておりまして、そこが抱えている課題の相談を受けたり、広告代理店に勤める方にジェフベックが好きな話をしていたら意気投合して、男性化粧品の広告の仕事をさせてもらったり。ジェフベックに感謝しないといけないですね(笑)」。

影響を受けた人物は、ジェフベック、ディズニー、坂本龍馬。

「プランニングからクリエイティブを一貫させるということをやっていきたいので、そういう視点で仕事をやっていきたいです。面白い企業さんと直接やりとりして、商品企画であるとか、そういうことも絡めた仕事をやっていきたいです。

横田さん

私の場合は、鉄道模型のこだわりといっしょで、プランニングをするときに必要なディティールが出てくるので、そのディティールがちゃんとデザインに反映されているのかが重要です。私の好きなデザインって、余計なものがないデザインが好きなんですよ。必ず何かそこには必然性がいる。逆に言うとデザインする前にそこまで内容をつめたいという考えがあるんです。余分なものを入れると、それはノイズだと思うんです。

優れたクリエイターの話を聞くと勉強になります。自分よりも年配の方が、感覚の新しいものをつくったりとか、今でもあるじゃないですか。年齢ではないな、発想だなと思います。どんな年齢になってもプランニングの部分は衰えないし、そういうことを大切にしていきたいと思います」

公開日:2008年12月08日(月)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ランデザイン  浪本 浩一氏