長川コラム
2009年09月01日

今年の大阪は梅雨明けが例年に比べて遅かったせいか、
蒸し暑かっただけで夏らしい空があまりありませんでした。

眩しい青空と真っ白な入道雲、四方八方から響くセミの声。
8月生まれの私にとっては、そんないかにも夏だと感じる日が
もう少しあってもよかったかな、とちょっと残念に思っています。

さて、このコラムを書いている今日9月1日は「防災の日」です。
ご存知のとおり、関東大震災の日に因んだ記念日ですが
私がいつも思い出すのは実家にあった1冊のアルバムです。

当時、私の祖父は東京で近衛兵として皇居に仕えていました。
震災の数日後、祖父は記録のため皇居周辺を撮影して回ります。
倒壊した建物を取り囲むような黒い瓦礫の地面と灰色の空。
白黒写真に写る街と同様に実際の景色もモノクロだったに違いありません。

その中でも、私の目に焼きついて離れなかったのが
人が歩いている道路の脇に無造作に積み上げられた亡骸の山や
どういう理由か黒焦げで電線に引っかかっている人の姿などでした。

突然襲ってきた地震とその後発生した火災で多くの尊い命が奪われ、
政治経済の中心都市としての機能は完全に停止し、
生き残った人々も不安からパニック状態になり治安も崩壊してしまった。

四国の片田舎で自然や音楽を愛し、裕福に育ってきた若き青年が、
どんな気持ちでこの光景にカメラを向けたのか。
おそらく、世界の終焉を見るような絶望感と無力感だったと思います。

しかし祖父が常にしっかりと国を守る立場を自覚していた形跡も
そのアルバムには残っていました。
それぞれの写真の下に破り取られたように貼りつく小さな紙片。
それは、その写真を撮影した日時と場所が記録された紙の跡でした。

昭和の時代になって戦争が始まったとき、
祖父は写真が敵国に渡れば不利な情報として
宣伝に利用される可能性があると考え、
場所を特定されないよう剥がし取ったそうです。

そのため震災を伝える資料としての価値はなくなりましたが、
祖父にとっては自身の責任を果たした結果だったのでしょう。

そして平成7年1月17日、私もあの阪神淡路大震災に遭いました。
関西に大きな地震は来ない、などと勝手に思い込んでいた私は、
何の防災準備もしていなかったため、家庭や職場への影響を
震災前まで取り戻すのに約7年もかかってしまいました。

その間、祖父が遺したアルバムの写真や祖父の行動を思い起こすたびに、
私は後悔にも似た恥ずかしい、情けない気持ちになっていました。

今この瞬間にも来るかもしれない災害に対して今何の準備ができているのか、
そして今の時代に自分はどんな心構えで日々生きるべきかを考え直す日。
それが私にとっての9月1日、「防災の日」です。

奇しくも私の誕生日の翌日。ひとつ歳を重ねる最初の日でもあります。
おかげさまで今年もまた、今日という日を迎えられたことに感謝し、
気持ちも新たに頑張っていきたいと思います。

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