メビック発のコラボレーション事例の紹介

まちを想うひとが、距離を超えてつながる時。~マチオモイ帖×PPS4リユースプロジェクト~
熊本の被災地で使われた紙管をマチオモイ会場展示にリユース

展示会場

大阪―尾道―熊本をつなげた「逢いにいく」エネルギー。

2016年12月6日。第6回目となる「わたしのマチオモイ帖展」を3日後に控えたメビック扇町に運び込まれたのは、大量の紙管。春に震災に見舞われた熊本と大分において、避難所の一部で活躍した間仕切りシステム「PPS4」だ。そして設営現場には、集まったスタッフにてきぱきと指示を出す2人の男性の姿が。熊本の建築家である矢橋徹さんと、尾道を拠点とするコミュニティデザイナー内海慎一さん。彼らが遠路はるばる大阪に乗り込んできた背景には、不思議な出逢いの連鎖があった。

避難所風景
熊本の避難所の一部ではこのようにプライバシーを保つために間仕切り=PPS4(ペーパーパーテーションシステム)が使われた。

クリエイターたちが「大切なまちへの想い」を、冊子や映像などそれぞれのスタイルで表現する「マチオモイ帖」。その発起人であるコピーライター村上美香さんが、2013年にふるさと因島へマチオモイ帖出張イベントに出向いた折に出逢ったのが内海さん。それ以降ふたりは意気投合、共に島祭りを取材したり、因島の地元中学生とマチオモイ帖を作るなど地域での活動を広げていく。そして熊本地震直後の4月28日にも、内海さんは村上さんと尾道で落ち合うべく、仕事先の岐阜から新幹線で西へ向かっていた。「席に着いたら、僕の隣に大学の先輩が座ってたんです。びっくりして“何やってんすか?”って聞いたら、今から熊本へPPS4の建て込みに行くんだと」。内海さんと先輩は、PPS4の生みの親である世界的建築家・坂茂氏の研究室で共に学んだ仲で、東日本大震災直後にも被災地でPPS4設置を手がけた経験を持つ。内海さんはすぐさま、広島の用事を終えたその足で熊本に駆けつけることを先輩に約束。「私、その行動力にホントびっくりして」と村上さん。「逢いにいく」強いエネルギーに触れた瞬間だった。熊本に到着した内海さんは、設営現場で建築家・矢橋徹さんと出逢い、年齢も近いふたりはたちまち仲良くなる。

展示会場
2×2mのスパンで組み立てたPPS4は、避難所とほぼ同スケール。

絶対成功させる。友だちの本気が、火をつけた。

夏を過ぎると、熊本では避難所から仮設住宅に移り住む人が増え、PPS4のリユースが内海さんたちの次の課題として浮上。大阪の村上さんにも相談が舞い込む。「その時ふと“これをマチオモイ帖展の什器に使ったらどうだろう”と思って」。その提案に内海さんも「いいっすね!」と即答。すぐに矢橋さんに応援を頼み、彼らは大阪のマチオモイ帖制作委員会を説得すべくプレゼン資料の作成に取りかかる。会場設計は矢橋さん。作業工程などのディレクションを取り仕切るのは内海さん。村上さんは彼らと大阪チームをうまくつなぐ役目となった。「これは絶対成功させないと」。熊本と尾道、離れたところにいる友だちの本気が、村上さんの心に火をつけた。
村上さんが委員会メンバーにPPS4のアイデアを打ち明けると、意外なフィードバックがあった。メビック扇町・堂野所長からの「どうせやるならリアルに熊本の避難所を感じられるものにしてほしい」というひと言だ。「脇役のPPS4が主役のマチオモイ帖より目立ってはいけないのでは?」という内海・矢橋チームの遠慮もこれで吹き飛んだ。「設計図を引いてみたら、避難所で実際に使われた2m×2mのグリッドがすっぽりメビックの会場にはまることがわかったんです」と矢橋さん。当初は紙管はほぼ展示台に転用し、ひっそり会場の片隅に2ブースだけ避難所を再現したコーナーを作るつもりだったが、そのプランを大幅に変更。避難所の空間をそっくり丸ごと持ち込むことに決まった。
蓋を開けてみれば、PPS4は決してマチオモイ帖の世界を壊すことなく、訪れる人々の「まちを想う心」をより遠く羽ばたかせる空間を作り上げた。矢橋さんは言う。「みんなで一緒に会場を作っていくうち、震災以来自分の中に抱えていた“被災したまちのために何かしたい”という想いが、いろんな人のまちを想う気持ちとつながっていくようで感動しました。内海さんやマチオモイ帖制作委員のメンバーは、被災者である私に“大変だったね”とは言いませんでした。それは被災者と支援者という枠組みを作らない最高の心遣いだと思っています」

メッセージを書く来場者
会場の紙管には、来場者が被災地へのメッセージを綴った。4月には熊本・大分のマチオモイ帖出張展に旅立つ。

「逢いたい人がいるまち」が増える喜び。

そして展覧会初日。「ここに来て熊本のことを知って、少しでも想ってくれたら」。取材に訪れたTVカメラの前で内海さんが話す言葉を聞いて、村上さんはそれまで言語化されていなかった何かが、急に鮮明に姿をあらわしたようでハッとしたという。たとえ自分が被災していなくても、ボランティアに行けなくても、“想うだけ”で何かが変わるきっかけになる。それは、マチオモイ帖を始めた時の「まちおこしはできなくても、マチオモイはできる」という思いとまっすぐにつながっていた。「まずは想うこと。すると心も動くし体も動くんですよね。今回その“想う”から、“逢いにいく”という次のステップに踏み出せたのは、マチオモイ帖の活動を通じて、これまで知らなかったまちにも友だちができたから。そのつながりこそが宝物です。先日も因島に帰省する時、下りの新幹線乗り場で“これに乗れば熊本に行ける”って思ったんです。熊本の仲間に逢いたくなっちゃって。これまでは広島方面の表示しか見なかったのにね」
逢いにいきたい人がいる。それだけでその土地はただの地図上の点ではなくなり、大切な誰かの顔が思い浮かぶ特別なまちになる。距離の遠さも立場の違いも、もはや大したことではないと思える関係。そっちもがんばれ。こっちもがんばる。そんなふうに心の温度を高め合えるつながりから、この先どんな新しいものが生まれるのだろうか。

プロジェクトメンバー

株式会社一八八

村上美香氏

http://www.188.jp/

矢橋徹建築設計事務所

矢橋徹氏

http://www.yabashi-aa.com/

LifeWork

内海慎一氏

公開:2017年4月21日(金)
取材・文:松本幸氏(クイール

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。