メビック発のコラボレーション事例の紹介

旅する昆布——海と食卓を繋ぐ一冊
昆布の魅力を伝える一冊

こんぶ処永楽冊子

昆布を通じて社会に尽くす
こんぶ処永楽のはじまり

大阪には昆布屋が多い。昆布の産地は関西から遠く離れた北海道にも関わらず、贈答用の高級昆布から塩昆布、とろろ昆布、酢昆布といった加工昆布はすべて大阪名物だ。古くから昆布は北前船と呼ばれた交易船によって若狭湾の敦賀・小浜などに陸揚げされたあと陸路で運ばれていたが、江戸時代に下関を経由する大阪までの航路が開かれたことから大阪・堺が昆布の集積地となり昆布加工業が発展。大正〜昭和の初期の最盛期には150軒あまりの業者が集まる一大産地となった。永楽の創業者である田中長次郎氏が老舗昆布屋から独立し、大阪・梅田一丁目に開業したのは高度成長期まっただ中の1957年。「昆布を通じて社会に尽くす」という長次郎氏の志は、現在、3代目の藤橋健太郎さんに受け継がれ、天然真昆布へのこだわりを大切にしながら、無添加のモノづくりを追求している。また最近は昆布だしを暮らしで楽しむための講座も人気だ。

藤橋さんの濃厚すぎる昆布愛の下、
3人のクリエイターが集結

藤橋さんがグラフィックデザイナーの鈴木信輔さんに出会ったのは昨年のこと。別事業で使用するPOPのデザイナーを探していたときに知り合いから紹介された。しかし打ち合わせではPOPの話はほとんどせず、昆布トークに花が咲く。「最初から昆布の方が面白そうだな〜って思ってたんですよ。POPよりも広がりがありそうだし、興味もあったし。しかも藤橋さんの昆布の話がめちゃくちゃ面白くて」。二度目の打ち合わせでもやはり昆布の話がメイン。「じゃあ、北海道に昆布漁を見に行こう!」そうして今回のプロジェクトがスタートした。
北海道に向けて、鈴木さんはメビック扇町で同時期にコーディネーターをしていたコピーライターの松本幸さんと、知り合いのカメラマンである村上登志彦さんに声をかけ取材班を結成。この時点では「北海道で昆布漁の取材をして、何らかのモノをつくる」という程度のことしか決まっていなかったという。それでビジネスとして成り立つのだろうか?「僕は仕事において、お金という概念をなるべくはずそうと思っているんです。お金と関係ないところで仕事をした方が面白いでしょ?価値を生めばちゃんとお金になるはず。実際には難しいけど、そこを目指していきたいんです」。鈴木さんはそう話すが、北海道行きを打診されたとき、松本さんと村上さんはどんな思いだったのだろうか。特に松本さんは鈴木さんとの仕事は今回が初めて。「最初に藤橋さんが開催している昆布のワークショップに行ったんです。もう目からウロコの話が盛りだくさんで。一気に興味が湧いて、“行きたい!”って」「僕は昆布といわれてもピンとこなかったけど、北海道ならうまいもん食えるやろな〜ってことで(笑)」。松本さんは、ライターとしての好奇心、村上さんは鈴木さんとの信頼関係(と北海道グルメ)から迷わず快諾。出発前の決起集会では藤橋さんが手作りのしおりを配布するなど、仕事というより全員が合宿気分だった。

昆布漁風景
写真:村上登志彦

企画書もラフもないままはじまった北海道ロケ

北海道に着くと一行はまず、大阪の加工昆布の多くに使われる真昆布の一大産地である函館に向かい、漁業協同組合の理事から昆布漁について話を聞く。昆布漁は天候によって左右されるため、1カ月~2カ月という短い漁期で雨が続けば死活問題。漁獲量が安定しないため、養殖に頼らざるを得ない現実があるという。誰もが天然のよさをわかっているが、現状は真昆布の半数以上が養殖だ。生活が安定すれば縁談も決まり、子供が生まれて町の活性化につながる。そうした事情の上に今の昆布漁は成り立っているのだ。袋詰めした商品しか目にしない消費地ではわからない、背景にある人々の暮らしを最初に聞けたことは取材のモチベーションになった、と松本さんはいう。
具体的な構成は決まっていないため、松本さんも村上さんも感じるままに取材をし、撮影を進めていく。「鈴木さんってディレクションしないんですよ。気になったら撮っといて~って言うくらい(笑)」。ディレクターにもいろいろなタイプがいるが、鈴木さんはまずクライアントと友達になることからはじめ、ライターやカメラマンと思いを共有しながらモノづくりを進めていくという。「僕の頭だけで想定しても面白くない。クリエイティブを共有しているメンバーが撮影したり、取材したものがベストだと思うし、その次を考えるのが僕の仕事ですから」
では、クライアントである藤橋さんはどうだろうか。どんなものができるかはっきりしないままロケは進んでいく。「北海道に行くって決まった時点でこの人に任せるって決めたので腹をくくっていました。もうそれまでにいっぱい話して昆布の魅力は共有しているので、それを伝えてくれたらそれでいいって」。そう話す藤橋さんだが、最初に一つだけ要望を伝えていた。それは「読んでいる間、別世界を旅するようなものにしてほしい」ということだった。

感動と楽しい時間を共有することが一番のディレクション

ダイナミックな漁の風景、産地で暮らす人々、そして丁寧に加工されていく様子など、冊子には生産地から店頭に並ぶまで昆布を追い、さらに3代にわたる永楽の物語も詰め込んだ。初代の頃から永楽で働く女性社員はこれを読んで涙を流して喜んだという。昆布と永楽のすべてともいえるこの一冊は、多くの人に昆布の魅力を伝えるのはもちろん、物語の一部である彼女たちを全力で肯定する力がある。
今回のプロジェクトは綿密な打ち合わせの上で企画書を練り、カメラマンとライターにラフを元に指示を出す、という一般的なやり方ではなく、どちらかというと現場勝負。だが、予定調和ではできない熱量のあるモノづくりにつながった。それはディレクターである鈴木さんの手腕とクライアントである藤橋さんの懐の深さによるものだろう。鈴木さんはいう。「みんなで楽しむことが一番大事。しんどいわー、いややわーって、言いながらやるとか最悪じゃないですか。楽しい雰囲気をつくるのが一番のディレクションなのかもしれません」

鈴木信輔氏、松本幸氏、村上登志彦氏、藤橋健太郎氏
左から 鈴木信輔氏(ボールド)、松本幸氏(QUILL)、村上登志彦氏(wheel)、藤橋健太郎氏(株式会社なにわ屋)

ボールド

鈴木信輔氏

http://bold-d.jp/

クイール

松本幸氏

http://quill.jp.net/

wheel

村上登志彦氏

こんぶ処永楽

藤橋健太郎氏

https://www.naniwa-ya.com/
https://www.eiraku-konbu.co.jp/

公開:2016年5月9日(月)
取材・文:和谷尚美氏(N.Plus
取材班:サトウノリコ*氏(yellowgroove

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。