迷うよりは前へ…
TORISAN L.L.C 鳥山 進氏

創造性豊かな事務職出身の変わり種クリエイター

鳥山氏

事務職出身の変わり種クリエイターの鳥山進さん。
幼い頃は、空想癖があり、絵が好きで、ひとり遊びが得意な性格だったといいます。野球やサッカーなど普通の男の子が興味を持つスポーツにはあまり関心が無く、ピアノを習い、中学時代にはブラスバンド部でアルトサックスを吹いていたとか。高校時代も音楽を続けるため、地元の市民楽団に入りクラリネットを吹き、御堂筋パレードに出たことも…
こうしたことからも、鳥山さんの創造性豊かな雰囲気がうかがい知れます。

やりたいこととの出会い

そんな鳥山さんでしたが、大学受験には失敗。血縁関係が働く会社に就職。毎日事務作業や同じ事の繰り返しの世界。単調な生活に次第にマンネリになり、仕事に刺激を感じなくなったとか。ある時、雑誌でCG制作を学べる学校の案内を見て強い刺激を受けることに。思いたったら吉日。知らず知らずのうちに入校説明会に足が向いていました。Macがあれば何でも簡単にできるという説明会での演出にコロッと嵌り、その学校に入学。就業後学校に通う日常が続きました。自宅にもタブレットつきのMacを購入し、タブレットで好きな絵を描きながら、暇を見てはMacの勉強をしていました。睡眠時間は減りましたが、やりたいことをやっていたら楽しく、充実した日々を過ごすことができたといいます。

学校の仲間は、仕事をしながら通っている人がほとんどで、モチベーションも高く、授業が終わってから飲みに行っては、クリエイティブや将来の夢などについて熱く語り合ったとか。現在独立して自分のやりたいことをやっている人は少ないですが、学校の仲間とは今も仲良く、鳥山さんのかけがえのない財産になっているといいます。

「迷うんだったらやってみよう」

学校では、基本的なツールの利用方法を短期間勉強しただけでした。そんな状態にもかかわらず、日々募っていくCGを仕事にしたいという気持ち。「迷うんだったらやってみよう」安定した会社員生活から抜け出し、CG制作の道で生きていくことを決意しました。しかも就職先がまだ決まっていないのに・・・。思い切りの良い性格が、こんなところにも垣間見えます。

退職後、様々な会社等に応募するなど就職先を探しましたが、若いとはいえない年齢や全く経験の無い素人には、当然ながらすぐに仕事は見つからず。チラシ制作のアルバイトや、たまに知人から来るテクニカルイラストや地図制作でしのぐ毎日。とても仕事といえるボリュームはありませんでした。派遣会社の技術者募集の案内を見つけ応募。仕事の紹介もないのに、電話連絡と訪問を繰り返し、猛烈に自分をアピールしたとか。同時に、触ったことのない新しいツールを独学で勉強するなど派遣先の要求に応えられるだけの力量を身につけようと努力をしました。

気分を楽にしてくれた先輩のひと言

その甲斐あって、派遣会社の担当者からなんとか企業の課題をもらい、周りの助けも手伝って、ゲーム会社に派遣されることが決まりました。
派遣先での作業はドットを打つ作業。全く経験のない世界でした。超多忙なトップデザイナーが時間を割いて教えてくれましたが、何回やっても上手くできませんでした。何とかしなければと努力はしましたが、ストレスが溜まり体調をくずすような状況。そんな鳥山さんの様子を見かねてか、先輩デザイナーが「所詮ゲームやから、無くても誰も困らないし、死ぬわけでもない。そう思えば気が楽になるやろ」と言われたとか。
「本心ではそんなことは思っていなかったのでしょうが、私に対する優しさに心打たれました。その言葉は本当にありがたかったです。今でも仕事や状況に追い詰められると“所詮〜やから死ぬ訳じゃない”と自分の気持ちを一旦落ち着かせるのにその言葉を使っています。(笑)」

大きな自信につながった大手ゲーム会社での仕事

鳥山氏

その後、大手ゲーム会社への派遣が決まり、アーケード部門に配属。そこでプライズ機やケータイ関連の仕事をすることに。時間管理、品質管理の厳しい仕事。完成までに求められる時間は非常に短く、またドット数の小さなキャラクター画像であっても出荷チェックは相当厳しかったとか。労働時間の長さなどもあり決して良い労働環境とはいえなかったようですが、そこでの仕事は品質管理の調整やマルチタスクへの対応など、鳥山さんにとって貴重な経験になったようです。自分の開発したものが売れたかどうかが気になり出したのもこの頃。大手ゲーム会社でのこうした経験は、それ以降の鳥山さんのクリエイターとしての活動に、大きな自信になったといいます。

「同士」

大手ゲーム会社の次に派遣されたのはスロットメーカー。液晶機の初期開発に携わりました。当時の液晶開発チームは、デザイナー1人とプログラマー1人と鳥山さん1人という体制で到底液晶開発が出来ると思えないような扱いだったとか。特殊なハード向けの映像製作はトライ&リトライの連続。業界経験の少ないデザイナーやプログラマーとの意見の食い違いにより時には言い争うこともありましたが、これも仕事に対するお互いの熱い情熱や考え方を確認することができ、乗り越えたときには厚い信頼感に繋がりました。鳥山さんの中ではさまざまな葛藤もあったようですが、この時はじめて「同士」といえる仲間と出会え、その後の仕事人生の大きな糧となっています。こうして出来上がった製品は、結果、大ヒット作になりました。

上海プロジェクトに携わって

途中、社員として採用され、チームの人数も増え、居心地の良い環境で仕事ができるようになっていましが、「このままでいいのか?このまま大企業の中で自分は埋もれてしまうのだろうか」と考えることが多くなりました。
そうしているうちに元上司が設立した開発会社から誘われたこともあり、またまた「迷うのであればやってみよう」という前向きな精神で、約3年半働いた職場を辞め、転職。小さな会社でしたが新しい職場のデザイナー全員が20代前半、弟や妹のようなスタッフと一緒に飲みに行くなど移る前に仲良くなってしまい「上司として面倒をみてあげたい」と思ったのも職場を移るきっかけになりました。
新しい職場ではもうひとつの役割がありました。それが上海プロジェクトと呼ばれるもので「中国でCGを創る」ことを目的としたプロジェクトでした。
プロジェクトリーダーとして上海スタッフの採用から教育までを担当することに。中国、と日本を行き来し、考え方や習慣の違いなどに戸惑いながら、文化の違いから来る絵的な部分での調整にもかなりの時間を費やしました。文化や考え方の違う海外のスタッフと一緒にものづくりを行う楽しさを肌で感じました。

会社倒産、解雇、そして起業へ

インタビュー中の鳥山氏

プロジェクト自体はうまく行ったのですが、立ち上げたばかりの会社は親会社の影響を受け、1年半で倒産、解雇されることに。
当時集めた中国・上海の開発チームのメンバーと良い関係が創れていたこともあり、この仲間と一緒に仕事をしようと一念奮起し起業。メビックに入所しました。
「現在は、パチンコ用CGなどの開発業務を主に請け負っていますが、将来的にはスロットやパチンコの業界だけではなく、様々なジャンルのCGコンテンツ制作に関われればと思っています。また、中国だけに固執するつもりはなく、メビックやその他の場所で出会った様々なジャンルや国内外の人とのコミュニケーションを大事にし、いろんな人と一緒に仕事をしたいと考えています。今は、これまで培った人間関係や、仲間に助けてもらいながら仕事をしていますので、助けてもらえている私は恵まれている、いずれ恩返しをしないといけないといつも感謝しています。将来的には、会社の人数を増やし、きっちりしたチームをまず国内で編成して、自分自身はコーディネータ、ディレクターとしての役割を担いたいと考えています。国籍に関わらず、様々な人間と共に仕事ができれば・・・。そのためにも、いろんな問題解決に向け損得なしで一緒に戦ってくれる良い“同士”にめぐり会えたらいいな。」と笑顔で話す姿には、様々な苦労に直面しても人を大切にしてきた鳥山さんの思いが込められているように感じました。

今後の活躍に期待したいと思います。

チャレンジャーズクリップ Vol.79 公開:2008年10月14日
取材 文:インキュベーションマネージャー 堂野 智史

トリサン L.L.C.

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2009年09月末に卒業されました。

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