

幼い頃は病弱で、外で遊ぶことよりも読書をするのが好きだったという横井さん。子どもながらに文章を書く仕事がしたいと思い、作家になることが夢でした。しかし、年齢を重ねるにつれ現実と向き合うことに。いつしか夢も儚く潰えました。
大学時代、漫画同好会に所属。某出版社から漫画で大学を紹介する本の制作依頼があり、横井さんは編集長として、制作期間1カ月で出版に漕ぎ着けました。この経験が自分を見つめ直すきっかけに。自分は「無」から「有」を生み続ける芸術家タイプではなく、与えられたテーマに沿って創造していく職人タイプであるということに気付いたといいます。
当時はコピーライター全盛の時代。文章を書く仕事をしたいという思いは変わらず、広告系の職場で働きたいと就職活動をすることに。でも、一般的な会社に入っても、必ずしも広告制作部門で働けるとは限りません。広告制作部門で働けることを条件に職探しをしたところ、1社だけその条件で採用してくれる会社がみつかり、そこに就職を決めました。その会社では、会社案内、学校案内、カレンダーの企画などに携わりました。なかでも某大手企業の社内報の全面リニューアルを担当したことは、その後の活動の礎になったと振り返ります。
その後、知人の紹介でフリーランスのプランナーとして企画事務所の仕事を手伝うことに。大手広告代理店の仕事を通じて、行政や大手企業の施設・設備などの企画業務に関わることができ、企画を紙に落とし込むことについて徹底的に叩き込まれました。
当時、年齢も20代後半に差し掛かり、このままフリーで続けていくのか、再度就職するのか迷っていましたが、自分のやりたいことは何なのか、自分自身に正直に問い直したところ、書くことから纏めることまで1つの仕事を自分でやりたいということに気付き、再度就職の道を選びました。

制作会社の求人に応募、運良く採用され、そこで大手FC企業の加盟店向け雑誌の編集に携わることに。当時この企業が経営改革を進めていた時期でもあり、広報戦略の策定に関わる羽目に。向こう5年間の広報戦略策定という重要業務のため、クライアントとのやりとりは半端ではなく、超多忙な日々を過ごしました。
O-157に感染し入院中も客先と病院との間でFAXでやりとりをする始末。看護士さんには多大な迷惑をかけたと反省しきりです。この会社では、経営陣とのコミュニューションを経験でき、マーケティングやマネジメントを学びました。
さらに大手企業のハウスエージェンシーに移籍し、システムキッチンのプロモーションなどに参画。このときに商品に関する幅広い知識や、巨大な組織のなかで多くの関連部門との調整業務を行うスキルを身に付けました。その後、この実績が認められたこともあって大手企業の情報化プロジェクトの事務局を担うことに。忙しさはさらに増し、月の半分を東京で過ごしました。

家庭的な事情もあり、仕事の切りのいいところで退社しましたが、今度はクライアント側に立ってものを見たいとの思いから、中堅クラスの建設会社に就職しました。この会社には、宣伝・販促計画を立てて計画的に事業を行う風土がなかったため、宣伝・プロモーション計画を整理し、体系化する作業からスタート。Webサイトのリニューアルでは、月間PVを4,000から10万に向上させ、見込み客の発掘やブランディングに寄与しました。
この頃から、自分で事業をしたいという思いが強まり、1年間、知人の会社でWebサイト制作とネットワークづくりに奔走することにしました。再び請負側の視点で制作に携わることで、独立に向け制作者としての自信を取り戻すためのリハビリ期間でもありました。

こうした数々の経験を活かし、2006年末に独立、メビックに入所。横井さんの強みは、何と言っても、発注者側、請負側の両方の経験があること。こうした経験の融合により、宣伝・販促を総合的にプロデュースしていきたいと語ります。また横井さんには、親の介護経験から、本当に必要な情報を提供できる介護情報発信サイトを創りたいという夢があります。そのためには原資が必要。本業を頑張って資金を貯めて、それに着手したいと考えています。
メビックに入って、毎日が文化祭前夜のような雰囲気を感じているという横井さん。隣近所に数多くの専門家がいて、切磋琢磨しながらコミュニケーションをはかることができる。何かが起こりそうな気配を感じる大変良い環境だとのこと。
今は、いろんな会社と仕事を介して少しずつコミュニケーションをはかっている状況。勉強する意欲、自分自身を高める気持ちがなければ、クライアントに良いものを提供できなくなってしまう。その解決策は、人と会うこと。人から得られる情報は濃密で、重要だといいます。

コミュニケーターという社名には、(1)クライアントのコミュニケーション戦略をきちんと考えること。(2)1つのプロジェクトに対して、みんなでベクトルを揃えて良い結果を出すために、互いに良い関係を創ること。そのハブ機能を担うことができればという意味があります。
この社名は自分で名付けたものではなく、最初の会社を辞めたときに出会ったプロデューサーの言葉から拝借しました。このプロデューサーは、「自分はもともと編集者。制作する力はない。デザインも写真制作も自分ではできない。自分のできることは、クライアントとクリエイターの間に入って、本当に必要なものを生み出すこと。これを『コミュニケーター』と名付けている」と。
横井さんは、この言葉を聞いて、理想的なものづくりを行うために、「人」と「人」との間に立てる「人」になりたいという思いを胸に、社名を「コミュニケーター」と命名しました。今後のご活躍に大いに期待するところです。
チャレンジャーズクリップ Vol.65 公開:2007年07月31日
取材 文:インキュベーションマネージャー 堂野 智史

※2009年4月末に卒業されました。
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横井 孝治
宣伝・販促コンサルティング, プロデュース, CMS, ライティング, 介護情報
「(株)コミュニケーター」