
「チャレンジャーズクリップ」は、メビック扇町に入所している「起業家=チャレンジャーズ」をメビック扇町スタッフの視点で紹介するインタビュー記事です。

お客様からは「大阪っぽい」て言われるんですが、「京都出身です」というと、ああ、と納得してくれます(笑)。「言われてみれば『はんなり』して京都っぽい」と。しゃべり方が変なんでしょうか? ちなみに桃子という名前は芸名ではありません。皆さんに覚えていただけるので気に入っています。

京都で整骨院を開業していた父と母。私は3人兄弟の真ん中に生まれ育ちました。父親は20代前半で独立開業したのですが、私も気がつけば同じ年代で起業していました。常に父と母の写真を持ち歩いてお守りにしています。つらい時に見ると元気が出るのです。
デザインの仕事を選んだのは、高校生の時に数々のデザインの本と出会ったのがきっかけです。作り手のメッセージが伝わるデザイン。「私も20歳までにこんな本を出そう」そう決めたのです。ところが…いよいよ自分の作品を出版しようとした時、父に猛反対されて泣く泣く出版を断念しました。
高校卒業後は、雑誌や本のエディトリアルデザインをしたいと、デザインの専門学校に入りました。ここで私はこの業界の面白さを発見しました。その学校では、一般企業からのデザインの仕事を受託・納品する授業をやっていたのです。将来の道はデザイナー、プランナー、営業など、様々です。それぞれの募集が来るのですが、私は「全部したい」と思っていました。デザインに関するいろいろなことがやりたかったのです。

自分が何が得意かもう少し考えたいと、将来の道を選びきれずにいた2年目、特別授業で企業の仕事をするカリキュラムがあり、そこで出会った先生の研究科に入って授業を受けていました。営業で人と会える、そしてデザインが売れる感覚が楽しくなっていたある日、
「君が起業したら、周りの人にも元気を与えることができる」
と言われたことで、起業を決意しました。
そして「ご縁」を大切にと、資本金五円の株式会社を設立しました。そして新天地「大阪」へ。メビック扇町に入居することになりました。

パートナーの粟田さんと
その一年半後、その会社の代表を辞職しました。クリエイターとしての出発点を自分で作るために、オフィス・トキノヤを個人事業として創業したのです。トキノヤとしての私は、自分を表現することができる喜びで本当の意味で独立できた感覚です。当初は売上の見通しが立たず、焦りもありましたが、「とにかく1年、がむしゃらにやってみよう」と思っていました。

メビック扇町の入居企業のみなさんとのコミュニケーションも増え、毎日楽しく仕事ができました。特に卒業企業の方と韓国まで行ったときには、自分の今までの枠組みを超える経験や考え方に触れたことで自信を持つ事が出来ました。人を通じて成長させてもらっていると、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
私の原点は、10代に見た「メッセージが伝わるデザイン」です。そしてコミュニケーションによって人と人をつなげることで、周りの人を元気にできることが起業のきっかけです。20歳までに本を出す夢は果たせませんでしたが、今振り返ってみると、その想いを胸に起業したことで、メッセージを伝え、人と人をつなげることができていることに気づきます。

そして今、また本を出版したいと思うようになりました。最初に出したかった本は、もがく高校生から大人たちに向けてのメッセージを伝えるためでした。今出したい本は、ニートやフリーターをしている人へのメッセージ。自分が経験してきた様々なこと、私の想いを周りの人から人に、伝える、つなげるメッセージをデザインしたいと思っています。そして、10代の私の夢をちょっとかなえてあげたいのです。
公開:2006年12月05日
聞き手 文:インキュベーションマネージャー 長川 勝勇
※2008年1月末に退所されました。