
「チャレンジャーズクリップ」は、メビック扇町に入所している「起業家=チャレンジャーズ」をメビック扇町スタッフの視点で紹介するインタビュー記事です。

大学の保育科を卒業後、幼稚園の先生をしていましたが、そのかたわらで夜間に絵の学校に通っていました。学校を出てからはイラストレーターとして、グラフィックデザイン事務所の仕事を受けていました。4年ほど勤めた幼稚園を辞めて、その事務所にお世話になることが決まっていたのですが、その学校の先生から紹介を受けたバッグの問屋の社長さんに「うちに来なさい」と言っていただいたことで、一転してバッグの業界に入ることになりました。
その社長は日本のバッグデザイナーの草分け的存在の方で、オリジナルブランドも展開していました。小さい会社で、企画を担当していたのが社長と私の二人だけだったため、販促DMやカタログの作成、商品撮影、出荷、商品リスト作成、展示会の運営ショップ兼ショールームでの接客など、なんでもこなしていました。いいお仕事をされている方と接する機会が多く、いろいろと刺激を受けました。
この会社でひととおり経験することができたので、会社の10周年イベントを機に辞めようと思っていたのですが、ちょうどそのタイミングで「バッグのデザインしない?」と社長が切り出してこられました。自分にそんなことができるとは思っていませんでしたが、「好きだったらやっていけるから」と後押しされ、頑張ってみることにしました。

「血が全部入れ替わって、自分でものがつくれるようになるまで10年かかる」と言われてのスタートでした。ダメと言われることの意味が分からず、反発もしました。後半になってやっと「自分で出来てきたのがわかるでしょう?」と言ってもらえるようになりましたが。
その会社には上の子の出産休暇もはさみながら、結局12年お世話になりました。ハシゴがかかっていない状態でのスタートで、最初はとてもしんどい思いをしましたが、この会社に入らなければデザイナーとしての自分はなかったと今では感謝しています。
次にライセンス生産を行うバッグメーカーに入りました。フリーランスになる前にスタンダードを知っておきたいと思い入った会社でしたが、1日1点のペースで新しい商品をつくる仕事は大変でした。

ここでは場数を踏むだけでなく、正しい図面の描き方、記録の残し方、修正の入れ方、見積りの取り方などを学ぶことができました。また、会社がPB(プライベート・ブランド)を立ち上げようという時期にあったので、その意味でもいい経験を積むことができました。

その会社に2年ほどいた後、以前から取引のあるメーカーからの依頼を受けたのを機に独立し、西宮・苦楽園口で建築家の方が運営していたシェアオフィスに入りました。インテリアコーディネーター、イラストレーター、薬事関係の翻訳者といった方々と一緒に仕事をする環境はとても楽しかったのですが、入居後すぐに次の子の妊娠が分かり、半年ほどでそこを出て、出産後は自宅で活動を続けていました。
最近ようやく子供が手が離せる頃になってきたので、メビック扇町の入居募集に応募しました。その後大手セレクトショップなどとの取引も始まったこともあり、2005年5月に法人化しています。現在4社のバッグメーカーからデザインの仕事を頂いています。OEM(相手先ブランド製造)の仕事がほとんどですが、1社だけPBを任されています。

OEMの仕事の場合は、自分のデザインした商品が会社や営業マンの力で露出度の高いところにいくのが楽しいですし、PBの場合は自己発信で商品をつくって世に出すことができるやりがいがあります。そしてゆくゆくは、自分でリスクを負ってPBを立ち上げていくことにも挑戦してみたいと思っています。
公開:2005年09月06日
聞き手 文:コラボレーションマネージャー 山納 洋

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工藤 友里
「(有)トン」