
広告や学校案内などの編集、デザインを得意としている大塚さん。「国府宮はだか祭り」で有名な愛知県稲沢市に生まれ、3人兄弟の長男として育ちます。小さい頃から人前に出るのが苦手で引っ込み思案だったと言いますが、趣味でトールペイントやパッチワークなどを得意とする母親や、絵を描くのが好きだった祖父の影響で、子供の頃はよく絵を描いていたそうです。
小学生になってからも、虫歯予防週間コンクールのポスターで校内1位に選ばれ表彰を受けたり、市の絵画コンクールで特選になったりと、次第に絵の才能を発揮していきます。
小学校高学年になり、制服姿に憧れて地元のボーイスカウトに入ります。野山での野外活動や毎週行われる神社境内でのキャンプ、お祭りの手伝いなどいろいろな行事を通じてボランティアの楽しさやリーダーシップについて学んだことが、その後の人生の大切な思い出と教訓になります。

中学3年の時、父親の転勤で兵庫県宝塚市へ引越しします。もちろん大塚さんは高校へ進学しようとする受験生。愛知県とくらべて受験対象の科目数が大幅に増加してとても焦ったようです。でもそれ以上に衝撃的だったのは関西弁。しばらくは毎日がテレビの中の出来事のような感覚だったそうで、この時期の転校は強烈なインパクトだったようです。しかし徐々に周囲に感化され、1985年の優勝を機会に大の阪神タイガースファンへと変貌、真の関西人への道を歩み始めます。
高校に入ってからはハンドボール部に所属し、左利きだったことが重宝されて1年の時からレギュラーに抜擢されます。ハンドボール部を選んだのはマイナーではあるけれど、何か新しいスポーツという感じがして魅力的だったから。ただこのころもまだ引っ込み思案で絵を描くのが好きな男子学生には変わりなかったようです。

高校を卒業してデザインの専門学校に入学。そこで広告業界で活躍するデザイナーの存在を知ります。大塚さんは「僕もやってみたい!」と、広告デザイン業界に自分の方向性を見出します。専門学校で出される課題に苦しみ、締め切りギリギリまで追われる日々。考える時間を長くとって、いざやると決めたら集中して作品作りをするスタイルを覚えたのもこの頃だそうで、現在の仕事スタイルにもつながっているようです。
社会人として最初に入社したデザイン事務所は大手代理店の仕事が中心で、自分が作ったものがすぐに街中で見られるのが快感だったそうです。ただ仕事は厳しく、入社初日から終電で帰宅、その後も電車で帰宅する方が稀というくらいのハードな毎日。また、よりよいものを作るために、時間をかけて考え抜いたり、徹底的に資料を探したりすることの重要性を身につけた6年間だったと振り返ります。
その後、主にカタログなどの編集デザインを手がける事務所を経て、再度広告デザインの事務所に入り、忙しい日々を送っていましたが、ある仕事での成果が認められて東京支社に転属されます。大塚さんにとっては初めての東京で友人もいない上に、阪神ファンとして肩身の狭い思いの中での生活でしたが、会社が南青山の表参道にあったこともあり、デザインはもちろん、日本の情報発信の中心で仕事ができるということが大いに刺激になったそうです。

ところがある日、母親が病気になり看病のため大阪に戻ることになります。それでも忙しさは相変わらずで、深夜・早朝まで仕事漬けの毎日が続きます。「デザイナーの仕事って何なのだろう。」とデザインとは別の道も頭の中によぎっていた頃に、起業してメビック扇町に入所していた元同僚から仕事の手伝いの依頼があります。メビックで仕事をしたことで、あらためてデザインの仕事の面白さや、人間関係の大切さに気づいた大塚さんは、社員の雰囲気のよい広告会社に就職、その後いろいろな経験を経て、「自分でやってみよう。」と独立の決意をします。
決意をしたものの、独立に関しては何の準備もしていなかったため、経営者としてやっていく自信があまりなかったという大塚さん。そのとき、以前仕事を手伝った元同僚のことを思い出します。「メビックなら経営者の勉強をしながらやっていける。」再度自分の目でメビックを見学し、2009年2月にメビック扇町に入所します。そしてセミナーやイベントに参加することで、少しずつ経営者としての自信を深めていきます。

起業してからは、すでに受注していた仕事の他、新規クライアントも増えて、少しずつ形になりつつあると語る大塚さん。継続的に仕事を引き受けられるような人間関係を作ることを1年目の目標に定めて事業の基盤作りに励んでいます。また、メビックのイベントで出会ったクリエイターの人たちと会話をしていく中で、受身の仕事だけではなく、自らの作品や考えを発信できるようなものを創りたいと思うようになり、現在仲間と一緒に構想を練っている最中だそうです。
絵を描くのが好きな引っ込み思案な少年は、野外活動やスポーツ、そしてデザイナーという職業を通じて、厳しさやたくましさを持つ大人の男性になりました。「一度に多くのことはできないが、自分にできることをひとつずつ確実に、手を抜かず丁寧にやっていきたい」
そう語る大塚さんには、もうひとつの目標があります。
それは、一緒にいても気をつかわず、楽で正直に付き合える、そして何でも話しができるような人生のパートナーを見つけることなのだそうです。
チャレンジャーズクリップ Vol.90 公開:2009年08月18日
取材 文:インキュベーションマネージャー 長川 勝勇

2010年3月末に卒業されました。
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大塚 憲一
グラフィックデザイン, ロゴタイプ, タイポグラフィー
「オオツカデザイン」