一度聞くと忘れられない「たまやスペシャル株式会社」の田中さん。その社名からもただものではなさそうな予感がしますが、一体どんな経緯で今に至るのでしょうか。

現在は旅行パンフをメインにグラフィックデザインを行う田中さん、「絵を描くことが幼少から好きで」というパターンからと思いきや、少し変わった子だったそうです。
人から「これをやりなさい」と言われたり、時間を決めて何かをすることが嫌い。そう、いわゆる「へそ曲がり」の田中さんは小学校の頃から絵を描くのは得意だけど学校の美術の時間は嫌いだったといいます。
高校では自分で文学研究会やアウトドア研究会を立ち上げ、勉強は全くしなかったため、浪人。全然通わずに呼び出された予備校では「大学進学は諦めろ。」と匙をなげられる始末。この一言で「合格の為に勉強するのだから通れば良い。予備校は不要。」と奮起して、受験科目及び配点の研究をして、点の稼ぎやすい科目にのみ集中。結果は数ヶ月前までは願書を出すのも止められる大学に合格というものでした。大学に入ると空手の同好会に所属します。空手をやりつつ他方では詩を書き、パブで朗読とかなり個性的な学生だったようです。家にはたまに帰る程度だったとのこと。

旅行会社時代、添乗員として
始めて同行した旅行
就職は旅行会社に決定。団体旅行の営業マンとして企業や公共団体に営業に行き、添乗員として旅行に同行する日々です。「社会人としての基礎も何も出来ていないのに毎日20件の課題を課して飛び込んでました。」とのこと。ひたすら訪問するだけだったので、3ヶ月経っても成約なしだったそうです。ただ空手で培った「折れない心」で、自分に課した訪問ノルマは果たし続けました。半年続けると少し受注が取れましたが、このままでは営業目標は達成できません。ここから戦略を立てます。3月に社員旅行に行く中規模の会社を狙って訪問を繰り返します。そのベースにあるのは、「100回訪問して名刺を渡せば、誰でも会ってくれるよ。」という先輩の言葉。
それを何社にも対して、実行し続けたそうです。ある会社では3ヶ月後に部長が出てきて「今日で100枚名刺がたまった。ウチは付き合いがあるから君の会社に旅行を申し込むことはないが、見積もりだけは取ってあげる。」と言ってくれたそうです。そこで会社に帰り、見積もり作成を上司に告げると、規模の大きさから支店規模のプロジェクトとなります。形だけの見積もりのはずが、翌日の101枚目からも順調にカウントを続ける名刺の効果か、見事大口受注となったのでした。その後は、新しい商品の企画などをする中で数字とは別の企画することの楽しさを知ったそうですが、逆に数字重視の体制に疑問を持つことに。
同時に仕事に対する別の迷いも出てきていました。一生懸命営業して社員旅行を企画しても、実際には社員はあまり喜んでいない。また、阪神大震災と時期も重なったことにより、「自分のやりたいことをやっておかないといつ、何が起こるかわからない」という思いも日に日に増していました。
ある日、通勤途中に「もう仕事を辞めよう」と決意した田中さんは途中の駅で降り、会社に「辞めます」と電話を入れます。そして好きだったスノーボードで食べていく道を探るべく、東北に旅立ちます。除雪作業をしながら住み込みで4〜5ヶ月間修行。レベル的にはかなりのものでしたが「いくら上手くても20歳を超えていたら無理」という現実を知り、30歳目前の田中さんは雪融けと共に帰阪することに。
その後、ある釣り雑誌でバイトを始めます。本格的にPCを触るのは初めてでしたが、時代はDTP導入の頃、モノを作る楽しみを知り「こういうことがしたかった。これで仕事になるのであれば本格的にやりたい。」と目覚めます。
イラストを描く仕事がメインになってくる中、会社からは「仕事を回すので独立したら」と促され、独立。仕事に集中する日々が続きます。確かに仕事はたくさんもらえたのですが、数ヶ月間、ひきこもってひたすら仕事ばかりしていると時間感覚が完全に無くなってしまい、「このままではまずい」と強い危機感を感じます。
一旦は就職した方が良いと考え、デザイン会社であればどこでも良いと受けた会社はディレクターとして田中さんを採用します。そこで担当した仕事は相当な激務。数日寝ずに仕事して1日寝るといったペースで3ヶ月仕事をします。家にも殆ど帰らずに、電気や水道も止められる始末。ここでも折れない心でやり続けますが、会社はその仕事量を理解してくれず、あまり認めてはくれませんでした。独立時よりも多い仕事にはるかに安い給料ではありましたが「満足して仕事が出来る喜び」があり、苦にはなりませんでした。5年間の滅私奉公のつもりでしたが、会社の大変な時期と重なり、組織を支える立場になった田中さんは気づけば入社から9年経っていました。この頃になると会社と自分の「仕事」に対しての考え方の違いも出てきて、今の仕事を持って会社を出ることになります。また、一緒に仕事をしてきた丸谷さんと一緒にやることを決めます。

真面目に取り組む
「チャンピオンベルト」事業
そんな時に知人からメビックの入所募集のことを聞き「入所できない位なら、事業なんてできる訳がない」と面接に望み、見事入所が決定します。
こうしてスタートした会社の社名は田中さんと丸谷さんの名前が由来。2人でやることで田中さんは「売り上げへのこだわりや、責任感が出てきて、頑張ろうと思わなくても頑張ることが出来る。」と言います。今後は構想中の新しい事業(チャンピオンベルト製造)も視野に入れつつ、仕事を増やし、人を育てていきたいと考えています。
田中さんの話の中には人材育成の話がよく出てきます。「誰でも最初は経験はないが仕事が楽しいということをやってみて知ってほしい。クリエイティブで大層なことは考えていないが、ものづくりだけよりも人を育てて仕事をして、経済に少しでも影響を及ぼすことが社会貢献になるのではないかと思います。」とのことです。
また、自分がやりたいことを追い求めた経験から「今、やっていることを楽しもうという姿勢は大事。続けることで楽しくなった人は強いと思う。ただ反面、違うと思ったらすぐに止める勇気も必要かもしれない。今は悩んでいる人が多すぎる気がする。悩むことを良しとせず、ためらわずに一歩踏み出してほしい。動かない人に限ってプライドが高いが、人は動くと色々と頭を下げないといけない。それに気づいて動ける人は、いつかやっていることが楽しくなってくると思います。」と話します。

たまやの仕事は「おまけ」付きです
そんな田中さんの仕事のモットーは「おまけがついていること。デザインの中に自分が居て、オッと思わせる何かがあればと思っています。また仕事は制作物だけでなく前後のやり取りも含めて仕事と思っています。会うことが楽しい、打ち合わせが楽しいと思ってもらいたい。デザイン業ではなくてサービス業といった感じですね。」
話を聞きながら、恐らく今後も田中さんはやりたいことを追い求め、集中力を発揮していくだろうと思いました。テーマは経営や人材育成かもしれませんが、楽しみつつ仕事をしていくであろう田中さんの今後に期待です。
チャレンジャーズクリップ Vol.87 公開:2009年05月26日
取材 文:インキュベーションマネージャー 増見 浩一朗

2010年3月末に卒業されました。
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田中 耕太郎
グラフィックデザイン, イラスト, DTP, パンフレット, 旅行
「たまやスペシャル(株)」